2016年8月19日金曜日

日米の少年野球経験から考える「日本人は集団活動では"ちゃんとしてる"」の起源


日本人は(特に集団が絡むと)"ちゃんとしてる"と言われるし、僕もそうだと思う。これは幼少時から細かいことが積み重なってのことだ、と改めてこちらに来て感じた。


ここでの少年野球チーム(小学校低学年)と日本の時のチームを、体験に基づきミクロで比較して書いてみたい。


服装(ユニフォーム):日本では、ユニフォーム、練習着を全員同じように着てくるのは当たり前。ユニフォームは単なる運動着ではなく、集団への帰属を示し、指導者へのリスペクトを表す重要なシンボルである。特に野球では「一糸乱れぬ」感が求められる。対して、当地では、ユニフォームはあるが、非常にゆるい。そもそもキャップとTシャツだけしか決まっていない。下のパンツの方は自由なので、子どもによって白だったり黒だったりする。ベルトをしていたりしていなかったりもある。ユニフォームのTシャツが長すぎるということで勝手に切ってアレンジしている家もある。公式な試合なのに、なぜか違うシャツや帽子で来ている子もいる。これが許容されている背景にはおそらく、経済格差の問題もあるのだろう。細かく一式揃えることを強制することは、低所得家庭の機会を奪うことになる、という認識がありそうだ。(と思うのは、70ドルの登録費が払えない子のためのチャリティをやっているのを見たことから)あと、7歳くらいでもサングラス、ピアスもいるけど、全く自由。我が家は、最初は「ベルトがないけど、していかなくても良いのだろうか・・怒られたり、恥ずかしかったりしないだろうか」と日本的に怯えていたものだが、こちらのゆるいモードに慣れるとこれはこれで気楽で良いという心境に今ではある。




このチームの服装はかなり統制がとれている方

時間運営:日本では、集合時間は厳守が当たり前。遅刻は恥ずべきこと扱いとされる。むしろ少し前に集まって自主的に道具の準備をするのが奨励される。また、私的な旅行などを練習や公式戦を無視して入れるのは憚(はばから)れる雰囲気がある。対照的に、ここでは、集合時間は目安みたいなもので、見ていると大体10〜15分遅れくらいが基本。遅れてきても何も言われないし、特にマイナス感もない。反対に早退したりするのも、同じ感じで許容される。リーグ中でも、旅行に行ったりするのは全く問題なく、むしろ旅行の予定を先に確認される。

野球技術:日本では、キャッチボールから初めて「基本」「型」の指導がしっかりしている。また、(日本での野球史を反映してか)コーチの方々からして技術に一家言ある人が多く、普通の少年団でも技術的な指導の裾野レベルが高い。一方、こちらでは「基本」「型」は教えることもあるが、必要に応じて、気が向いた時に、という感じ。本人を尊重し、「上手い奴は自然と抜けてくるだろう。そういう奴には上のレベルのチャンスがある」という感覚がある。どんくさい奴でも基本を教えてなんとか一定のレベルまで、、という意識は感じられない。(一方で、そういう子にも試合に出て楽しむ権利は与えよう、という意識はすごく強い)


以上あくまで、ミクロで私的な比較ながら、日本人が(全体的に)集団行動に秀でているという特徴は、小学校低学年(あるいはその前)から叩き込まれたものである、ということを例証してみた。大人に目を向けて現業系のビジネスでも大体当てはまる傾向だと思う。

この日本の特徴には副作用(抑圧感や没個性)もあるだろうし、今後も誇るべきものかどうかは分からない。ただし、このくらい根っこから違うもの、ということを出発点として色々考えておいたほうが良いと思う。




追記:当然、学年やステージが上がったり、地域が違ったりすれば、状況は異なると思われることはお断りしておきます。ちなみに、こちらでも比較的高額な習い事だと、時間通り始まる傾向があります。なお、日本というのは23区内某区の普通の地域少年野球が題材です。今回の比較対象は、どちらも「普通に地域の最寄の野球チームに入ったら…」という点で共通しているのでApple to appleとは思います。

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