2016年11月30日水曜日

エグゼクティブスクールのダイバーシティ


ケンブリッジは、とても多国籍な市でもあるし、選挙の結果でも「社会の分断」が話題になっているから、徒然なるままにダイバーシティの事を再考することが多い。

最近もMITのエグゼクティブスクールに出席した際に改めて考えた。

クラスには、およそ20か国の人がいて、自分が話した記憶があるだけでも、アメリカ、ドイツ、ペルー、ブラジル、中国、インドネシア等々の人がいた。業種的にも組織ステージ的にもとても多様だったのだけれど、冷静に考えると、実はこれ「ダイバーシティが豊富」なのではなくて、同質的な集団なんだな、ということに気がついた。



まず、皆「英語」を話している。すごく当たり前のことだが、国籍問わず英語ができないとこのクラスに参加できない。第二言語の人も多いので程度には差はあるが全員英語を話す。

次に、ITを使いこなしている。ほとんどの参加者がノートパソコン、タブレット、スマホの三種類を使っていた。Appleがやや多いがサムソンとsurfaceもよく見かける。(残念ながら、日本製のラップトップはもはや見かけない)

僕は日本で、日本人だけで行う同種の研修もよく見たけれど、少なくともガジェット(機器)の活用については日本以上な印象。先進国の人だろうが新興国の人だろうが、おじさんも女性もITを駆使している。ちなみに、Apple watchが10人に1人くらいいる。年代層を考えると結構高い比率だと思う。新しいものに貪欲&お金があるのだろう。

「英語とIT」15年くらい前から大前研一先生あたりが指摘していたことそのままで、当たり前といえば当たり前ではある。

ちなみに、研修中に、忙しそうに会社に返信している人もチラホラ。これは、日本でも見た光景だ。

そもそも、皆、ビジネス界の幹部で、わざわざMITの高額なスクールの特定テーマ(今回はイノベーション)に参加する人である。俯瞰的に見ると、とっても狭い人種なわけで、単純に「地理的に世界中から集まっているからダイバーシティが高い」とは言えない、と改めて思った。

高額なだけあって、ケータリングも豪華。


一応、思うだけでなく、クラスの中でもでもそう提起してみたら、参加者も、それはそうなんだよね・・・、と言ってくれた。(ただし、話がそこで止まってしまった・・・。この現状をどうハンドルするか、実はあまり答えが無いようでもある)

2016年11月27日日曜日

市のホールでみんなでU2を合唱する会 -2-



前の記事からの続き。

ライブが始まった。ステージ上にはファミリー合唱団が登壇し、それと観客が一緒に歌うという趣向。ちなみに客層は富裕そうな白人家族が中心。登壇する合唱編成は曲によって変わる。




セットリストとしては、Angel of harlem, I still haven't what I'm looking for, 40, Wild honey, Beautiful day, One, Mysterious Ways, With or Without you, Sunday Bloody Sunday, Pride, All I want is you....などなど。懐かしめの選曲が多く、自分も含め、みんな歌える名曲ばかり。欲をいえば、Walk onとかBadも入れて欲しかった。

U2の膨大なディスコグラフィーの中から、ゴスペル系、アメリカルーツ系を選んでいる感じ。欧州風の曲は外している感じで、U2の曲は本当に幅広いなぁと改めて感心する。それぞれコーラス用にコンパクトに良いアレンジがされていた。

それにしても、U2が提示してきた価値観とは逆のことを言う大統領が登場する現実のタイミングで、これらの曲を歌うとなると、嫌が応でも、歌詞の意味を意識してしまう。

たとえば、Sunday Bloody Sunday(1983年発表)より。
And the battle's just begun

There's many lost, but tell me who has won

The trench is dug within our heartsAnd mothers, children, brothers, sisters

Torn apart 

Sunday, Bloody SundaySunday, Bloody Sunday

How longHow long must we sing this songHow long, how long 
Cause tonight, we can be as one

Tonight, tonight. Tonight, tonight
この時のアメリカのリベラル派の気分にかなり合致してしまっている。

この会自体では政治的な話はなかったけれど、歌詞カードを見ながら頭を抱えている人がチラホラいた。司会の人が「先週(注:大統領選挙の開票日のこと)、私たちは an intresting experieceをしましたね」などと言っていて、この地域の政治的なことに対する公の場での婉曲表現はこんな感じなのか、と勉強になった。アメリカ人だからといってなんでも直接的にいうわけではない。

ちなみに、Pride (in the name of love)の際には、世界の人権状況の改善に尽くした偉人(ガンジーとかMLKとか)をスライドで流しながら歌うという演出があり、これはU2もライブで実際にやっていたことではあるのだが、地域の草の根でのイベントでこういう精神を実際に目の当たりにすると「本当に凄いものだな」と思う。

会場の市の公会堂

おまけ:Pride





2016年11月25日金曜日

市のホールでみんなでU2を合唱する会 -1-


9月、近所の公園をジョギングしていたら、掲示板に衝撃的な張り紙を見つけた。

U2の活動40周年を記念して、みんなでU2を歌おう」というイベントがあるらしい。ご当人たちが来るわけでもない勝手イベントだ。僕は20年以上のU2ファンなので「この街はなんでこんな面白いイベントするの?」と興奮してしまった。

言うまでもなくU2はアイルランドのバンドであり、ボストンとは特に関係がないはずなのだが、やっぱり「(リベラル)思想的に」繋がっているのだろうか、と思う。

社会人になりたての頃、ボーナスでU2のライブDVDを買うのを楽しみだった。中でも傑作は"Live in Boston"だとこれまで思ってきたが、改めて考えてみるに、世界のあらゆる都市でライブを行うU2がボストンを商品として発売したのは偶然ではないのかもしれない。ボストンはアメリカでもっともコアなU2ファンが集まる街であるかもしれない、と住んでみて気がついた。ちなみに、収録されたライブ会場は今はTDガーデンという名称になっており、NBAとNHLの本拠地である。

加えて、このライブの当日は、トランプ氏当選の翌日、というタイミングになってしまった。いろんな意味で楽しみすぎる。

日が短く弱くなって、15時前だけどもはや弱い日差し


午後3時から市の公会堂で、ということで会場に着いてみると家族連れでいっぱい。現場でみると「U2ファンの集い」というよりも「主催のコーラスグループの集い」という側面が強いようだ。

当日歌う曲の歌詞が印刷されたカードまで配られて、否が応でもみんなで歌おう感が高まる。

開始前には、"Pride (in the name of love)"の歌唱指導から。サビをハモれるように指揮者が指導してくれる。この選曲が「いかにもこの地域らしい」と思う。

この曲は公民権運動のヒーロー、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を歌ったものだ。話はライブからそれていくが、当地に住んでみて、MLKが東部インテリリベラル白人にとっていかに特別な存在か、ということを実感している。ケンブリッジ市には名前を冠したMLK通り、MLK小学校もあるし、普通の学校に普通にMLKのポスターが貼ってある。黒人ではなく、白人が積極的に讃えているのだ。こういうところで、ここはいわゆるポリティカリー・コレクトネスの本場だと肌感覚で実感する。


小学校の体育館に普通に貼ってあります。(これもMLK)

前置きが長くなってしまったので、ライブの話は次の記事へと続く。





2016年11月22日火曜日

ボストンで聞いているラジオ局 -1-


日本にいる頃からラジオを聴くのが大好きで、東京の家でもジョギング中でもよく聞くし、出張に行った時に当地のローカル局を聴くのも好きだ。札幌、盛岡、名古屋、大阪、いろいろ聞いてきた。ラジオがいいのは、季節感を感じられることと、その土地独特の息吹が分かることだ。(スマホで聴けるようになって便利)

ボストンに引っ越してきた時も、真っ先にラジオ曲の探索を始めた。タクシーやウーバーに乗る時に、運転手さんが何をかけているかを欠かさず観察する、あるいは尋ねてみることをマメに重ねた。

その結果、今では以下のようなラジオステーションを家でよく聞いている。PCをBluetoothでスピーカに繋いでいるだけなので、日本でも聴くことができる。最近は、サンクスギビングモードが感じられ、クリスマス色も出てきている。

家の雰囲気を作る、英語に慣れる、ためにも海外のラジオを流しっぱなしにするのは良い方法だと思う。


局の名前にリンク入れてます。

Easy 99.1

Easy.99.1 WPLM FMは懐かしの洋楽中心で、ディスクジョッキーのおしゃべりも適度にあり、全体に古き良きアメリカのラジオ局という感じがいい。季節感のあるボストンの情報やローカルCMも入るので、地域感が濃い。何より、40代の洋楽ファンにとっては「絶妙」と感じる選曲が多い。流れる曲になんとなくアリー・myラブの世界観を思い出す。"Hooked on a feeling"とか"Love is in the air"みたいな感じの曲を沢山かけてくれて、雰囲気がいい。

引っ越し3か月後くらいにこの局を見つけて以降、今では一番多く聞いている。平日の午後からは帰宅するドライバー向けの番組、夜は、恋愛相談の電話コーナー、日曜日の夜は「ストリクトリー・シナトラ」とか言って、フランク・シナトラだけをかける番組、など生活の一部になりつつある。子供によると、学校でもこの局を聞いた(サウンドステッカーでわかる)そうだ。




Magic 106.7 Boston

Today's hit's, Yesterday's Favorite という局のキャッチフレーズ通り、新曲と懐メロを交互にかけてくれるという音楽好きにとってはありがたい局。ちなみに、ボストン以外にもこういう局はある。ただし、比率的には懐かしの洋楽が中心。クリスマスシーズンになると一気にクリスマスソングが多くなる。(これは多くのラジオ局がそうだが。)Easy 99.1を見つける前にはこの局をメインにしていた。


さて、ラジオは自分の中でも大きな趣味なので、クラッシック専門局、日本のラジオをアメリカで聞く、など、まだまだラジオの話は続く。

ハーバードCoop書店での2016BEST。師走(じゃないのか・・・)の雰囲気も。

2016年11月19日土曜日

地上から見た、選挙結果の影響


リベラルCity、ケンブリッジ市に衝撃が走った選挙の後の10日間。街の中をよく観察するように心がけて過ごしたので、自分の目で見たことを記録しておきたい。

全体的に、静かではある。有色系の人々の表情や挙動は暗いものを感じる。逆に、街の大多数を占める白人の人たちが、うちのようなアジア系に少し優しく気を遣ってくれている感じがした。あくまで主観なので証明のしようはない。

近所では、西海岸やNYのニュースにあるような激しいプロテストの感じはない。表向きは黙々としており、公の場では選挙の話題に触れないようにしている雰囲気を感じる。アメリカ人の本当に親しい人同士では話しているのかもしれない。自分のような余所者はアメリカ人とは選挙の話題をしづらい。逆に、外国人同士だと割と気楽に話せるのだが、まあ、誰とでも「信じられんね」「恐ろしいね」という感想にはなる。

中立を意識してこういう言いまわしになる@MIT 虹色


ハーバード、MITとも総長が声明を出しているが、バランスに配慮した抑制的な内容だった。(いわゆる、トランプ支持者を抑圧するリベラル、といった一方的な論調ではない感じ。)今週はちょうど、市内のキャンパスを回る機会もあったが「アジビラ」的なものはほとんど見かけない。大学の外の街の中でもそういうビラは見かけない。品の良い街だと思う。

先週は子供の小学校に行って担任の先生と話す機会もあった。この学校は(普通の公立なのだが)リベラル教育に力を入れていた。(例えば、図書館にで一番目立つところにあるポスターはローザ・パークスとか。)やはり動揺は隠せないようで、セラピー的な試みを見かけた。先生に「大統領選の結果について教室で話していますか?」と聞いてみたら、隙のない洗練された中立的答え(でも、言外に何かを感じる)をいただいたのが印象的だった。回答のガイドラインが教育委員会から回っている可能性も感じた。

地元インテリ紙、ボストングローブは、反トランプの論調を緩めるつもりはないようだ。むしろ「アメリカの伝統である地方自治の原則に戻り、地方の自治を貫こう」といった論説を乗せていた。これは、今のリベラル地帯に広がっている代表的な意見かもしれない。特にBostonは、アメリカの先頭を切って歴的に色々なことを変えてきた事実もあり、そういう気概はあるようだ。

最後に、事実として、これまで7ヶ月一度も見たことがなかった「ヘイト落書き」を地下鉄で初めて見た。市内でのヘイト事案も幾つか起こっているとのローカル紙報道もある。日本の公衆トイレにも落書きはあるから、過剰に考えたくはない。(そういえば、予備校のトイレの落書きが特にひどかった。ストレスが落書きを産むのか・・)

日本の報道を見ていると、新大統領は決まったこと、として早々に消化されているような感じもするが、現地にはそれとは少し違う感覚があるし、解消されるとも感じられない。

関係ないけどBostonの良いところにユニクロがオープンした

2016年11月16日水曜日

選挙が終わった街の教会の礼拝に参加して、安全ピンを受け取る


アメリカに住む機会に少しでもこの国を理解するため、ローカルな教会の礼拝に行ってみたい、と前から思っていた。(注:僕は特定の信仰なしです)

しかし、いくら野次馬根性だけは旺盛な自分とはいえ、さすがにこれはハードルが高い。"知らない教会に入ったが最後、監禁されて・・"、、などと無知ゆえに考えてしまう。

春から街を歩きながら調べを進め、一番、オープンそうな教会に目星はつけた。なんといっても教会のドアにアラビア語でウェルカムメッセージが書いてある。どんだけオープンなんだ!という感じ。南部では考えられないだろう。ここなら大丈夫そうだ。




さて、選挙の結果が出た後の最初の日曜日、自分のスケジュール的にも合致したので、ついに礼拝に訪問してみた。

日曜日の10時からの礼拝。受付のおじさんがとてもフレンドリー。名前と連絡先を書くカードがあるのだが「プレッシャーに感じるなら書かなくてもいいよ」と言われた。

中に入って驚いた。最初は、ずいぶん簡素な、プロテスタント系の意匠だな、と思って礼拝堂を見ていたのだが、そもそも、十字架すらない。祭壇にはヘブライ語で「Tikkun olam」とある。ヨーロッパで見たカトリックの教会と対比したら、「ここはもはやキリスト教ではないのではないか」という域だ。僕は宗教好きなので、少し専門的に話すと、ここはユニテリアン・ユニバーサルというキリスト教プロテスタントの中でも新しいかなりリベラルな一派だ。この派は、三位一体説を否定しており、合理主義とヒューマニズムを重視している。ちなみに、ハーバード大の正門前にある教会も、この宗派のものでハーバードの先生の関与も多いと本で読んだことがある。この宗派の話(この地域のリベラル思想と強く関連しているようでとても興味深い)は別にさらに研究したい。



礼拝に話を戻す。

家族連れが多く会場は満員だ。最初から癒しモードだ。冒頭、「今日初めて来た人起立ください」と言われた。15%くらいの人が起立した感じだろうか。進行中に、何かをアジテートする雰囲気はない。選挙の話は間接的に出るが、ここは政治の話は切り離す、というコードがしっかりしているようで、あくまで穏やか。笑いも時々出て、深刻で思いつめた雰囲気まではない。「このような結果が出ても、私たちのコミュニティが、愛と寛容を重視することに変わりない」と司会者が言った。途中、カゴに入れられた安全ピンを恭しく皆が取っていた。自分も一つもらった。現場では意味が分からなかったのだが、あとで調べるとこういうこと(リンク記事)らしい。(自分はいつでも後から調べる。。)

瞑想の前の説教になると、静かに泣いている人たちが少なからずいた。選挙の後、少なくとも公の場では騒がず、静かに「わかるよね」「察するよね」的なハイコンテクストなコミュニケーションが交わされているのをよく見る。これはニューイングランド地方の特徴なのだろうか。意外に日本らしいとも感じる。

ちなみに、新規訪問の怪しいアジア人(見た目からして浮きまくり)でもいい感じに放置してくれて、何かを強制されるような雰囲気のない安心できる環境だった。

少し俯瞰的な情報を足すと、ここは、Cambridgeの隣のArlingtonという街の教会で、勝手な印象だと東京の世田谷区か杉並区みたいな感じのエリア。比較的お金と余裕がある人が多く住んでいる街だ。それから、あくまでこれは僕が今回行ってみた教会での話であり、帰り道で見た喫茶店は満員だったし、普通にサッカークラブの活動をしていた人もいた。教会に行く人が多数派ではないのだとは思う。ただ、こういう教会がこの辺の人の「考え方」の一つの拠点になっている気はする。



午後、街を歩くと、近所の教会が「ヒーリングパーティー」を呼びかけるビラを貼っているのを見かけた。そして、自宅マンションの隣にある教会からは初めて礼拝への勧誘を受けた。どちらも過去半年の間に一度もなかったことだ。いやらしくいえば、今回の選挙結果は教会にとっては「新しい信者獲得の好機」という面もあるのだろうが、それを超えて、教会が街を癒そうとしていることを感じた。

天気的には穏やかな週末だったのが救い



2016年11月13日日曜日

リベラル世界の中心で、トランプ勝利を考える -3-


日本のメディア、特に経済系のメディアだと、「トランプはマーケティングの方便として暴言を吐いていた。意外にマトモになりそうだからいいんじゃないか。むしろ炎上マーケの例として見習うべき」「ローカルの時代だから当然だ」「本当のアメリカは中部なのだ」というような論調を多く見かける。こちらで地べたで見ていた立場として、とても気になるのは、トランプ氏はこの選挙戦で、アメリカが(あるいは先進国世界が)大事にしてきた倫理観を破壊してしまったことだ。それはグローバリズム賛成か否かというレベル以前のものだ。これは現地で見ていて本当に酷かった。(ネタとしてやったのだとしても)他人に対するリスペクトという倫理観を蹂躙した人が大統領になることはシンプルに残念だ。こういう角度の視点が日本からだと見えにくいのではないかと思う。




選挙本番の前に子どもの学校から「学校便り」のプリントが来た。そこで校長先生は書いていた。「毎年10月というのは浮かない月ではあるけれど、今年は特にそうだ。大統領選挙の報道内容が、親にストレスを与え、子どもにも影響を及ぼしている。そのことを学校でも懸念している」と。日本でそんなことがあるだろうか。

選挙2日後には、市の教育委員会から親宛にメールが届き「選挙後のストレスケアのためのリソース」の紹介があった。ならびに、メールの中で「教育の現場は、オープンで、インクルーシブな環境を守ります」との表明があった。
Many of your children may have come home from school yesterday describing caring and supportive dialogue taking place in their classrooms. I am confident that all members of the community will continue to teach and lead with our shared values of inclusivity and openness, fairness and justice, and love and caring. 

ここの学校には40か国からの生徒がおり、それをまとめるのはただでさえ大変な中で「あの暴言大将」を大統領として頂くことになった教育現場の公務員教員の方の心中を察するに苦しいものがある。同じことが病院でも、会社でも発生しているはずだ。「とにかく注目を集めるため」だからと言って、こういう破壊をして良いはずがない。

念のためだが、僕はトランプに投票したアメリカ人を責めるつもりは全くない。朝日新聞の好連載「トランプ王国を行く」を全て読んだ(これ素晴らしく良かった)が、支持者の間の止むに止まれぬ憂国・愛国の心情を感じた。

だからと言って「トランプでOK」「仕方ないよね」と済ませるのは、自分としては違うと思う。



個人的な読みとして、本当にアメリカ全体が「トランプ化」していくとも思えない。事実として、アメリカ全体での得票数はヒラリー6084万票、トランプ6027万票と、トランプが57万票も少ない。今回のトランプの得票数は、過去の共和党候補だったマケインやロムニーよりも少ないらしい。

さらに、この絶対数に個々の支持者の内実(所得や教育や発信力)を掛け合わせて考えると、差はもっと大きくなる。「少数派」が選挙制度の間隙を縫ってトップを獲れてしまった、という状況に見える。反対に激しい憤りを持つことになったリベラル派がこのまま退潮するとも思えず、情勢は不安定化するだろう。これこそが、アメリカが抱えてしまった課題で、これが結構深刻だと思う。

以上が、にわかウォッチャーとしての一旦の選挙ウォッチのまとめ。これからしばらく少し忙しくなるので、いつもの淡々としたペースに戻る予定です。

2016年11月11日金曜日

リベラル世界の中心で、トランプ勝利を考える  -2-



(前回からの続き)

大統領選期間中はケンブリッジの街の中は静かだった、ということを何度か書いた。それもあって、僕は、メディア、具体的にはボストングローブ、ワシントン・ポスト(ちなみに今は、オーナーがジェフ・ベゾス)、ニューヨークタイムス、CNNを中心に選挙戦をウォッチしていた。一応、リテラシーのたしなみとして、これらのメディアが中立ではないこと(これらはすべていわゆるリベラルメディアである)は意識はしていたつもりだ。

どうするThe Boston Globe.. オバマ・トランプ会談のニュース流れる喫茶店にて。



ここで実感として強調しておきたいのは、これらメディアは、選挙戦中盤以降、極めて強い論調でトランプを批判しまくっていたことだ。これは多分、日本にいたら感じられなかった温度感だったと思う。この猛攻撃が、結果が出た今となっては非常に微妙な雰囲気を生んでいる。大きく二つのことを感じる。

一つは「拳を激しくふり上げすぎたために、落とし所がつけられない」というような雰囲気。例えば、当日の深夜から翌日にかけてのCNNは見ていてその辺が気の毒なレベルだった。ボストングローブも、散々トランプにダメ出ししてきて、これから社論をどうするのか、と余計な心配をしてしまう。おそらく、少し大人しくした後、トランプの失策が出てきたら猛攻撃を再開するのではないか。しかし「トランプはバカだ」と強く言うことだけでは、分断は解消できない。そのことに気づいた方がいいと思うのだが。

もう一つは「これだけ(芸能人もセレブも総動員して)誘導キャンペーンをやったのに、思うように導けなかった」というような虚脱感。フィラデルフィアのヒラリーの最終演説にはジョン・ボン・ジョビとブルース・スプリングスティーンまで動員してたのに、結局ここの州もヒラリーは落とした。二人のファンだった僕としてもちょっとがっかり。ちなみにハリウッドの映画界・芸能界もほぼ総動員で民主党に肩入れしてこの結果となっている。芸能界も結構ショックが大きいと思う。

しばらくは癒しが必要な街の雰囲気


これらは結構深刻なトラウマになるだろう。今の所、クリントンサイドは「潔い」声明を出しているし、トランプも改心モードだ。日本語メディアでは「もう手打ちだよね」「株価も落ち着いてるし、まあいいか」という感じの報道があるが、選挙戦をどっぷり見ていた限りでは「これだけ"Divisive"にやりあっちゃったら、人情として、"ノーサイド"は無理だろね」「これからこの国の中は重いことになるね」と感じる。

今回の選挙戦では、トランプが煽ったインテリへの憎悪(=A)と、トランプ嫌いのインテリが煽ったトランプに対する憎悪(=B)がある。前者と後者で比較すると、後者の方がねちっこい形で尾を引きそうな気がする。Aの方が浮動的な気分の方が多そうで、Bの方はそうではないからだ。ボストンエリアは(カリフォルニアも?)Bを消化するのにしばらく時間がかかるだろう。

ちなみに、はっきり書いておくと僕は"トランプはダメ(Unacceptable)"の側だ。ねちっこく先鋭化はしないが、「彼がこの後うまくやるならいいんじゃない?」と迎合するつもりもない。意見を聞かれることがあれば「(部外者の日本人ではあるけれど)個人的にはあれは当選させるべきではなかった」と言い、具体的に理由を説明する。

さて、ここの地域が強く押していた考えは、この選挙では望む結果を得なかった。しかし、"アメリカのリベラルの筋金の入り具合(※)"と"この思想が世界に影響を与えてきたこと"については、ここに住んでみてこそ強く感じている。

この人たちのエネルギーと厚みはまだまだある。単純に「逆コース」へ進むとはあまり思えない。今回のこともあくまで動的な歴史の中での一点に過ぎないと思う。今回の結果が出た途端に「こうなることは予想できた」「グローバル化は限界だ。世界は内向きに向うだろう」とか言ってる論者の軽さは何なのかな、と感じるのは、自分が今リベラル世界の中心に居るからだろうか。

※(余談):選挙の結果が出た後、近所の食品スーパーに買い物に行ったら"Black Lives Matter"のトレーナーを着て買い物してる白人の中年女性が居た。(これの醸し出すニュアンスを書くと長くなるのでやめますが・・・強い意思表示です)これを見て、ホント、ここはリベラルの中心だなぁ、と思った。"マダム、 いいトレーナー着てますな・・・”と、話しかけてみたら良かったかもしれない。
あと一回くらいは、大統領選ネタを予定。今回の件で大変なところの一つは、実は教育現場(子供たちの学校)なので、その辺りを書いておかないといけない。

2016年11月10日木曜日

リベラル世界の中心で、トランプ勝利を考える -1-


選挙の結果が出た。せっかくなので現地で見聞きしていることを記録しておく。

まずはじめに、自分としては、アメリカ国民の皆さんが民主的に出した結果を尊重する、という当たり前のことを明記しておきたい。

開票の結果、ケンブリッジ市ではヒラリーへ投票した人が89.2%だった。この数字は民主党が強いマサチューセッツでも、アメリカ全体でもおそらくトップクラスだろう。

人種構成的にマイノリティが少なめなこのエリアで、この得票率なのだから、とても独特な場所だと改めて思う。

実際に接してみると、ケンブリッジの中心、ハーバード大学の大部分は(ビジネススクールを除く)、日本でイメージしていたよりも、かなりリベラルだ。聞くところ、ヒラリー支援のために比較的近い激選区のニューハンプシャーあたりで活動していた学生も少なくないらしい。MITも(前にもここで紹介したように)多様性への配慮が驚くほど行きとどいた校風だ。

開票を見るハーバードスクエアの飲み屋の皆さん(まあ、エリート層です)。開票前半だったので皆、ニュース無視でドンチャン騒ぎ。今思えば、ヒラリー勝利を確信し過ぎだった。そんな現実。


ところで、子供(小学三年生)の通う学校には、同じクラスに中南米からの移民の同級生がいる。この子はうちの長男にも良くしてくれるフレンドリーでいい奴だ。この子の英語の作文を読む機会があったのだけれど、少したどたどしい英語でこんなことを書いていた。

"幼稚園の時にアメリカにきた。この国はいいところだ。もう母国には帰らない。Obamaという弟がいる"

詳しいことは分からないが、移民をしたことで、家族が当時の大統領の名前を与えたのだと思う。

この市の公立小学校の先生たちは外国から来たこういう子たちに丁寧に「英語」「アメリカ」「多様性」を教えてくれる。先生たちが何がしかのプライドを持って「インクルージョン」の実現に当たっていることを感じる。

僕が経験する範囲では、ここはこういう街であり、そこに敬意を抱いてきた。

トランプ勝利は、このエリアにかなり大きな衝撃をもたらしているように見える。90%の投票者の意に沿わぬ結果だったのだから当然の反応だ。さらに、僕が言うことではないけれど「大学エリートへの反感を見せつけられた」という面があるから余計に深刻だ。非常に乱暴に言うと「街自体へのダメ出し」的なところがある。(あくまで今回の最終結果は、ということであって、総得票数や中長期的なダイナミズムを考えれば違うのだけど、直後の衝撃段階ではそう感じるのが正直なところだ)

トランプ勝利の翌朝、地下鉄に乗った。

僕の気のせいだろうか、妙に静かで皆がスマホとにらめっこしていた。会話がなく、息苦しいような空気感が漂っていた。街の中でも、選挙の話題を明るくオープンに語る光景は見かけなかった。基本フレンドリーなアメリカ人としては意外なことに?"それは触れちゃいけない話・・・"的なものを感じた。

 選挙の翌朝。たまたま天気も悪かったし、妙な陰鬱が地下鉄の車内を包む。


夜は、ボストンコモンで学生の抗議活動があったらしい。一方で、初めて"Make America Great Again"の帽子をかぶった若い学生を駅で見かけた。

大きな話題なので次回もこのテーマの記事を続ける予定。

2016年11月8日火曜日

大統領選挙の投票所へ歩いていく


いよいよ大統領選挙の当日。ボストンの天気は快晴。ラジオから流れてきたDJの言葉を借りれば、"a Gorgeous November Day"だ。



子供の学校は体育館が投票所になっている。そして、この日はファンドレイズのための「Bake Sale」が行われる。これは、5年生の一泊旅行の費用を支援するために、ケーキやクッキーを焼いて保護者会が投票所に来場した人に売るイベントだ。

僕も意識の高い主夫としてブラウニーを焼いた(焼いてみて初めて分かる所要バターの多さ)ので、昼頃届けに行ってみることにした。

家から学校までは、普通の住宅街を歩いていくのだが、改めて道中を観察するに「ヒラリー」やら「トランプ」の看板はほとんど無い。(正確にはヒラリー2か所、トランプは0か所。)

同じ学校のお父さん(北欧出身のジャーナリスト)に先日教えてもらったところ、ここは90%近くが民主党支持という市だとのこと。

むしろ、同日に行われる(州の)住民投票についての宣伝が多い。此の州では特にNo.2(私学助成関係?)とNo.4(マリファナ合法化)の看板が目に付いた。ちなみに、マリファナ合法化運動の皆さんは(ランダム送信だとは思うが)携帯にメールまで送ってきて投票を促してきた。





学校に着くと、体育館の投票所へ。併設のベイクセールにて届け物と買い物をして、投票所の内部を見学。



投票所の様子は日本とそんなにかわらない雰囲気だと感じた。想像していたよりも「ゆるく、アナログな」雰囲気が漂う。草の根の投票所とは昔からこんな感じだったのかな、と思う。制服の警察官がいるけれど、校庭で子供とバスケットボールをするなど、ほのぼのムードだ。

この半年強よく見てきた選挙。建設的とは形容しがたいものではあり、自分が考えたことも色々あるが、何はともあれ、平和な社会を祈る。



2016年11月5日土曜日

大統領選挙が近づく、ケンブリッジ市の町の風景


あと3日ほどで、大統領選挙の本番だ。

偶然にも大統領選挙の年に滞米することになったが、日々の生活の中で「選挙ムード」を感じることはあまりない。このあたりは、鉄板の民主党エリアでもあり、街の中は静かなものだ。看板が多いわけでも、街頭演説が多いわけでもない。

むしろ、大統領選挙はテレビやSNSといったメディアの中にあったと感じる。

さて、街の中で撮った大統領選挙関連の写真を幾つか掲載しておきたい。

1:ケンブリッジ市の民主党選挙事務所の前


ちなみに、この市では共和党側の事務所は見つけられなかった。おそらく放棄しているのではないか、、と。

2:チャールズホテルのロビーにて



選挙についての意見を求めるコーナーが。土地柄、ホテル柄的に予想されるとおり、トランプ批判かシニカルな批評の書き込みばかり。

3:近所のオフィスビルの入り口に誰かが張った張り紙



ハロウィンの頃に発見。字が小さくて恐縮ながら、この張り紙の伝えんとするところが、なんとなくケンブリッジ市に漂う空気をよく象徴している気がしたので。

4:スターバックスのカップ


スターバックスは、11月から「社会の結束」を訴える趣旨のカップに変更。ちなみに、合わせて店の入り口には「お互いに親切にしよう」( Be good to each other)と書かれている。マーケティング、ブランディング的にも踏み込んだ施策で、さすが創業社長の率いる企業、という感じだ。

確か、CEOのシュルツさんは民主党に近いはずだし、スターバックスに来るような顧客セグメントがどちらの候補を支持する層かは明らかだと思う。そのスタバがこうした中立メッセージを出しているということを「茶番」と捉える向きも少なからずあるだろう。(洒落たメッセージ出してないで、はっきりと、トランプは嫌!と言えよ、的な事を言う人々はいるだろう。)

僕としては「本当にこの選挙の結果で、アメリカどうなっちゃうの?」というリベラル派の漠たる不安を鎮めるための祈りのようなものを、この器のメッセージに感じた。

あと3日ほどで、大統領選挙の本番だ。



2016年11月2日水曜日

ボストン郊外におけるハロウィーンの盛り上がり方


10月31日、こちらのハロウィーンの本番だった。

僕は日本では消極的ハロウィン反対派の立場を取っている(面倒な人ですね・・)ので、なるべくこのイベントを避けてきたのだが、こちらで敢えて逃げるほどのポリシーもないので、ほぼ初めてハロウィーンを体験することとなった。

2週間くらい前から商店や住居のディスプレイが変わり始めた。ディスプレイについては、伝統的なもの、可愛いもの、ややスプーキーなものやグロいもの、トランプ候補をネタにしたものまで色々あったが、特に偏った傾向は感じなかった。

楽器屋の店頭

この市では学校公式のハロウィーンイベントはない。課外活動では自由参加のパーティーがある。学校でイベントがある市もあるそうだ。近所を見ていて思うに、アメリカには中南米やらアフリカやらアジアやら本当にいろんなエスニシティの人が住んでいるので「ハロウィーンに興味ない」という人達も普通に居る。当たり前ながら欧州ルーツ、欧州系の人たちが楽しむイベントだと思う。現地で体感してみて気がつくところだ。

頑張ってるお宅
簡素バージョンなお宅(何もしていない家も多数)

当日、基本的にはこども向けのイベントという体(てい)で、夕方18時からお菓子を求めて家を回る。ノックをして良い家には張り紙をしてある。うちは欲張って、二手に分かれ、子どもはマンション内を回り、家ではお菓子を配った。英語的には"Trick or Treat!”に対して、“Happy Halloween!” “ You looks so cool!"くらい言っておけばいいので、ハードルが低いイベントではある。 子ども達(幼児から低学年くらいで高学年はほぼ見かけず)は仮装している。大人は、サービスマンの人が仮装していたくらい。マンション内のイベント参加率は高くて15%くらいだと思う。18時から19時30分くらいで終了。ちなみに、街中へ仮装して繰り出す人はほぼ見かけなかった(ゼロではない)。そんなテンションだった。なお、前の週にパリからの来客があったのだが、パリでもハロウィンはそれほどやっていないとのこと。Tokyoの状況は興味深い。

マンションのロビーにて


後日談。

さすが物量の国らしく、家に大量のキャンディー、チョコレート菓子が残った。子ども二人がもらってきた分、うちで配ったが余った分が合算され、とにかく大量。これをずっと食べてたら虫歯と糖尿病になるな、、と思っていたところ、そういうお菓子を恵まれない人の支援機関に寄付する仕組みもあるらしい。この全体的な流れもアメリカらしく思う。ひょっとして、日本のバレンタインデーと同じく、アメリカのお菓子会社が流行らせたのではないか、などとも考えた。


現場からは以上です。