2017年1月31日火曜日

休職中にしたいこと-ノンアルコール生活-


学生時代に酒を飲み始めてから、アルコールを楽しみに生活してきた。特に大きな失敗をしたり、体を壊した訳でもないのだけれど、休職しているのを機会に、「少し継続して酒を抜いてみよう」と思い立って、2017年元旦より酒なしで過ごしてきた。そして無事に目標の1ヶ月を完全にアルコールなしでの生活を達成。長らく休暇不足で働いてきた自分の肝臓にも「休職期間」を与えることができた。




最初の数日は禁断症状もなく意外にすんなりと始められたが、10日目前後に結構なObsessionが襲ってきたりはした。難しかったのは、癖がついている週末の飲酒、ご馳走の日の飲酒、パーティーでの飲酒などだったがこれらの「障壁」をクリアしての目標達成。

効果としては、よく言われることだが、肌の乾燥が改善し、睡眠の質は向上し、体重(腰まわり)が少し落ちた。

副作用?としては、今は主夫としてほぼ全て自分が料理をしているのだが、この料理意欲が少し落ちたかもしれない。美味しくビールを飲むために、面倒臭いけど一から麻婆豆腐作ろう、といった類(たぐい)の意欲が減退し、「まあ食べられればいいや」という気分になっている。

そもそも、東京で会社員として仕事をしていると、酒を一滴も飲まずに過ごすのは至難の技に(少なくとも自分には)思える。街中での飲酒は自由、コンビニやスーパーどこでも酒が溢れ、仕事の付き合いにも酒は欠かせず、酒の宣伝も多いし、酒に合わせたい美味い食材や料理も多い。

しかし、アメリカはそのほぼ真逆で、街の中では酒は飲めない、販売も割と厳しく普通のスーパー、コンビニでは必ずしも酒を売っていない、仕事の付き合いには酒は関係なく、どうしても酒のアテとして食べたいようなものもそれほど多くない。

先日訪問したMITメディアラボ内の模様


そういう意味では、アメリカでの禁酒生活はむしろ楽だったかもしれない。

酒を一生やめるつもりもないが「アメリカ生活での断酒」というのもなかなか面白い経験だった。

2017年1月28日土曜日

新大統領下の映画館で上映後に拍手が起きた"Hidden Figures"


昨年4月にアメリカに来てから10作ほど映画館で映画を見ているが、上映後に観客から「感動の拍手」が起こったのは(意外にも?僕にとっては)初めてだった。

その映画のタイトルは"Hidden Figures(隠されていた人々、みたいな意味?)"

有人宇宙飛行の黎明期にNASAの発展に陰ながら尽力した黒人女性エンジニア(というか数学者)達のキャリアを描いた、事実に基づく映画だ。



映画としては、それほどドラマチックでもなく、ご都合的な展開もある。さらに、黒人英語とサイエンス英語が聴き取れないので、正直申し上げて僕は中盤10分ほど寝落ちするくらいだったのだが、後半から最後に掛けてストーリーと観客はなかなかの盛り上がりだった。

話の舞台は約50年前。当時のアメリカが、ひどい差別問題を抱えながらも「科学の発展(宇宙飛行)のため、人種の垣根を超えて協力していこう!」と奮闘していたことがよく描かれている。NASAの中でもトイレやらコーヒーサーバーは人種別、論文に貢献しようが黒人だと名前は出ない、などまあそういう時代だ。しかしそれを、自らの手で変えていく時代でもあったのだ。

本作は、皮肉風に言えばいかにもリベラルハリウッド的な「ポリコレ」映画ではある。しかし、2017年、大統領側近が「オルタナティブファクト」などと言って事実から目を背ける時代となったコンテクストでこれを見ると「この時すでにこんなとこまで来てたのにそこから50年後のアメリカ、どうしてこうなった...」という感想ばかりが僕の頭を巡る。主人公が「科学者」というの点も、現状においては特別な意味を持ってくる。(これに関し、今最新のアメリカの知識人の話題としてこの記事あたりは読まれておくといいかもしれません)

多分、真面目なケンブリッジの観客達もトランプ政権ストレス(注)の中でこの映画を見て「そうだよ、これがアメリカだよ!アメリカの良いところってこうだったよな!」と思ったに違いない。だからこそ、上映後に拍手が起こったのだと思う。

そういう意味で、本作は2月発表のアカデミー賞(作品賞にノミネートされましたね)では台風の目になるかもしれない。実際、本作の興行収入は予想よりも好調らしい。なお、決して説教くさい暗い映画ではなく、ファレル・ウィリアムスの音楽でノリノリの明るい映画です。

(注)日本だとどういう報道になっているか全く見ていないのでわからないのだが、実際、現地でのトランプ大統領下での一週間は政治がグダグダで、やってることも「本格的にヤバいなこれは」と感じることばかり。

2017年1月25日水曜日

アメリカで映画版「沈黙-サイレンス-」を見て沈黙


遠藤周作の小説が原作。

映画界の巨匠マーティン・スコセッシ(ウルフ・オブ・ウォールストリートとか最高でしたね)が、昔から映画化を切望していたという作品で僕も5年前くらいから製作の話を聞いて期待していたのだが、ようやく完成して2017年1月に公開された。

公開に備えてKindleで原作を再読したが、改めてすごい小説だと思った。

1月上旬にアメリカの劇場で「日本人がクリスチャン白人宣教師をめった打ちにしている(どころか処刑しまくっている)」シーンを、ただ一人の日本人観客として白人観客に囲まれながら見る、というのは居心地がよろしくないけれど、得難い体験ではあった。


それにしても感想を簡単に語ることが難しい作品だ。

立場や属性によって大分受け取り方が変わると思う。「非クリスチャン(当然、非カトリック)」「日本人」「原作好き」の自分として、少しボカした感想を言うと、こういう立派な映画にしてくれたことは嬉しいが、全体的には「原作の小説」の素晴らしさを再確認した、という感じだ。

全般的に原作に対するリスペクトが感じられる忠実な映画化なのだが、一番大事なところで映画独自の仕掛けがあって、それはそれで悪くはないのだけれど、釈然としなかった。また、カトリックの教養がある人が見れば、それとわかるような仕掛けも幾つかある(例:明け方に鳥が三回鳴く)ように感じたが、自分にはその辺はあまり分からなかった。


あと、スコセッシ監督はあくまで「原作小説」に惚れ込んで「カトリックの信者仲間」向けにこれを作ったのであって、「日本」に惚れ込んだのではない、という認識も重要だと思う。(これは非難ではない)

日本人役者の演技はみなさん素晴らしく、特にイッセー尾形が完全にワールドクラスな役者な感じだった。浅野忠信、窪塚洋介なども全く違和感なく活躍していた。どうやって演出したのかな、と思っていたが、日本語の記事を読むと本当にスコセッシが直接演出をやってたようで、すごいなと思う。


2017年1月22日日曜日

ボストンで大規模抗議活動がある。この先が思いやられる。


全米で新政権への抗議活動があった土曜日。

朝、多少このニュースを気にしつつも、通常通り毎週の用事のために娘を連れて電車でボストンの都心へ向かおうとしたら、普段は閑散としている週末の駅が抗議活動へ向かう人波でごったがえしていた。

面白いのは、地下鉄が混雑を理由に?乗車ゲートを解放して無料で輸送していること。この地下鉄は資金難で苦労しているはずなのだが、こういうこと(=新政権に抗議するラリー)を収益機会とみなさないのは「懐が深い」社会だと思う。もしかしたら、ただズボラなだけなのかもしれないが。とにかくこういうところが“アメリカらしい。

いつもはここ土曜日はガラガラ


始発駅で乗車率100%超えなのに、途中の駅からも続々と人が乗ってくる。ただでさえ貧弱な地下鉄のインフラは完全にパンクしていた。

地域特性からだと思うが、人々はごく普通の(しっかりと教育を受けていそうな)白人が中心。そして平均的に若い。女性がやや多い。バーニーサンダース支持のTシャツを着た人やらスペイン語の看板を持った人やらゲイの人やら色々。

多くの人が自作のプラカードを持っていて色々とキャッチコピー的なものが工夫されている。こういうキャッチコピーセンスはアメリカ人の強みだと思って感心する。

個人的にはちょっと渋いところで「MAKE FACT GREAT AGAIN」(単独参加のおじさんが首からぶら下げていた。多分学校の理科教師。)良かった。

あとは、80’s洋楽ファンとしては"Girls just wanna have fun-damental rights”(シンディ・ローパーの有名曲のパロディですね)は思わず二度見してしまった。(これ、割と、定番フレーズらしく何人か見かけた)

日本だと「〇〇反対」「アベ政治を許さない」的な「反対」スローガンが中心な気がするが、こちらの人のメッセージは、何か価値観を訴えているものが多い。もちろん「トランプ反対」的なプラカードも無くはないのだが、比率としては「自分なりの価値観の主張」が多かったように観察した。

こういう民意の表現はとてもアメリカ的で素晴らしい。

しかし、プラカードで、トランプ支持者との連帯を訴えるメッセージがとても少なかったのは気になった。リベラル派が自分たちが正しいと信じる価値観を強く訴えるだけで勝てるなら、前の選挙も勝ててたはずで、反対派(例えばアパラチア山脈の中で仕事がなくて困っているおじさん)の駒を返していくようなメッセージングをしないと分断を深めるだけだとも思う。「トランプを嫌いになっても、トランプ支持派を嫌いにならない」ことが重要かと、外野の日本人として愚考した次第。

せっかくなので用事の帰りに本会場のボストン・コモンを覗いてみたら見たことのないほど大量の人が。


気候もよく、家族連れも多く、雰囲気は穏やかながらも新大統領への怒りだけは明確で気勢が上がる。州の大物政治家やボストン市長も来て演説していた。小さい男の子が「僕のお父さんは今日、ワシントンで行進しています」と書いてあるプラカードを下げてお母さんと歩いていたりした。

子供と一緒だったので、群衆の中心部には突撃せずに撤収した。

帰りの駅ではホームレスのおじさんと普通の乗客がホームで話していた。

普通の乗客「今日、外はすごい人だね。これだけの人が来るのは良いことだ」
ホームレスのおじさん「俺には関係ねぇ。土曜日にこんなことしたって何も変わらねぇ」

という極めて"らしい"会話が聞こえた。

とにかく、大統領就任後の翌日にこの分断度合いというのは米国史上初めてではなかろうか。


この先どう着地するのかまるで予想がつかない。 



2017年1月19日木曜日

新大統領就任式の前日、近所に立て看板が登場


新大統領就任式の前日。

いつも歩いて買い物に行っている近所のショッピングセンターの前に立て看板が出ていた。

抗議活動への呼びかけです


This is not normal.

感想を三つ。
  • 選挙以降、基本的には静かな街の中だが、やはりこの地域は納得していない。ボストンでもボストンコモン(中心部の公園)で土曜日に大きな抗議活動がある。

  • このあたりの地域性なのか、表現が間接的というか上品だ。関心のある人でないと読み取れないくらいの間接的表現だ。「(これだけで)何のことかわかるよな」という感じ。NYやらカリフォルニアならもっとダイレクトに言うはず。「トランプの〇〇野郎」くらいは書くのでは。

  • 皮肉を言うようだが、This is not normalというのは党派的というか上から目線で説教くさい気もする。「Normalかどうかを決めるのは自分たちだ」という意識を弱めるところから分断の解消が始まる気がするのだが。 

ちなみに写真の奥に、村上春樹も周囲をジョギングしていたフレッシュポンド(人造湖)がある。


追記:就任式の日は偶然、小学校での音楽会と重なった。それは、"Peace and Unity Concert"と銘打たれていた。(これも「わかるよね・・」という類のタイトル)

小学三年生が歌ったこの曲 "We are in this world together" が良かった。小学校の先生たちがこういう価値観を教えてくださるのは素晴らしい。



2017年1月18日水曜日

新大統領就任式を控えたMLK Jr. DAYの月曜日


先の月曜日は祝日。

公民権運動に尽くした、マーティン・ルーサー・キング・Jrを讃える祝日。

日本の成人式から一週間遅れにこの日があることはこれまでもなんとなく知っていた。

今年はその日を「トランプ新大統領就任式の前」という微妙なタイミングで迎えることとなった。

この日は朝からSNS上で、政治家だけでなく、経済人や芸能人までがMLK Jrを讃える投稿をしていた。(まるで、そうすることが何かのオブセッションのようにも見受けられた。有名人としての「たしなみ」かのような印象。)

さて、トランプ氏はどうツイートするのか、、、と勝手に心配していたら、素直にキング氏の業績を讃えるツイート(若干事務的な感じもしたが・・)をしていたので、安心したというかなんというか。

それらの投稿を見ながらキング牧師は沢山の名言・箴言を残しているのだなぁということを初めて知った。

ボストンのジョギング協会が投稿していた(そんな団体まで投稿する)これが個人的には良かった。
“If you can't fly then run, if you can't run then walk, if you can't walk then crawl, but whatever you do you have to keep moving forward." by MLK Jr.
自分の英語力に関する認識がこれ↑なので、印象深かったのかもしれない。

なお、小学校でも、キング牧師の業績について各学年で勉強しているらしい。子供も「作文を書いた」と報告してくれた。

この日は商業的なイベントではないので街は静かだったが、市役所の主催で幾つかの記念イベントがある。ケンブリッジ市は、その性格からアメリカ内でももっとも真面目にこの日のことを考える市の一つなのだろう、と思う。参加したかったのだが、時間の関係で到着した時には終わっていた。残念。



この日を観察しての全体的な印象としては、アメリカでは、キング牧師が一種の神聖不可侵な「聖人」扱いになっていることを感じた。聖域なき暴言大将のトランプ氏ですら、ここは犯さなかった。

あとは、今の社会的なコンテクストの下で、キング牧師のイデオロギーの特定部分を強く讃えると、反トランプの政治的な意味を帯びてしまうため、その辺には気を遣って、皆、言葉を選んでいることは感じた。そういう「配慮」or「空気を読む」ことはアメリカ人の知識層もかなりしていることは、今回の滞在でよく感じることだ。

この月曜祝日を含む三連休は「反トランプ派」の抗議活動も多かったようだが、次の週末が抗議活動(及び支持活動)のヤマ場となるらしい。普通の街中は至って静かながら、「進歩的」ボストンエリアがただ黙っているはずもなく市の中心部で抗議活動が予定されている。

式次第。聞きたかった・・・。



2017年1月15日日曜日

アメリカには外国人の子供向けの必修「TOEFL」テストがあると知る


英語・英語教育のトピックスは僕自身も関心があるし、このブログに書くとアクセスも多いようなので今回もその話を詳し目に。

先日、子供の学校からのお手紙で「おたくのお子さんが今月、(外国人向けの)英語の統一テストを受けますよ」というお知らせがあった。その説明会があったので参加してきた。




以下のような事らしい。

小学校一年生以上のESLは年に一回、1月末ごろに、OnlineでACESS for ELLs  2.0 という仕組みを使ってテストをする。このテストを受ける事は義務である。

  • リーデイング、リスニング、ライティング、スピーキングの4技能領域の力をそれぞれ測定。テストはPCで半日がかり。
  • 生徒の回答に反応して随時問題難易度が変わるAdoptive方式。(あまりにも難しいと子供がやる気をなくしてしまうので)
  • ゲーム的な感じで「テスト」っぽくはない。
  • 問題は一度しか出ないので、集中力は必要。また休憩はあるが長丁場なので前の日によく寝るなどの対策は必要。
  • ライティングは、1から3年生はペーパーに手書き。4年生以降はタイピング。
  • 4年生以降のライティングは、算数的な要素も入るIntegrated taskである。
  • スピーキングはヘッドセットでマイクに話すタイプ。音声データを人のアセッサーが判定する。
  • 結果は4技能の領域ごとに5段階で判定。4技能の組み合わせにより、総合スコアも算出される。通常、ESLクラスの子はレベル2とか3であることが多い。
  • この市では、この結果で、Compositeで5レベル、かつWとRが5だと、隔離クラス卒業して普通扱いになる。要求基準はかなり高い。(この基準については専門家内でも議論があり変わることもある)
  • 様々なファクターが関連するので、平均で何年でここに到達するとは言えない。ただし、3年くらいでクリアする子も居る。
  • 学力を測るためのものではない。英語のクラス分けと、先生達が指導法を考えるためだけを目的としていることを親にはよく理解してほしい。
  • 付け焼き刃の事前対策などは必要ない(むしろ有害なのでしないでほしい)。前の日よく寝てリラックスして受けて欲しい。
細かい仕組みや時期は州ごとに違うらしく、上記は基本的にここマサチューセッツ州の話となる。



以上を聞いて僕が思ったのは大学(院)留学に必要な「TOEFL(特にiBT)」と全く同じで、その小学生向けバージョンなんだね・・・という事。

アメリカのESLは小学生からこんなテストを必須で年に一回受けている、ということだ。(より深く理解するためには、大人もTOEFLを受けてみると良いと思う。高くて難しいけど。でも子供に英語の勉強を期待•強要するなら、まずは大人から…)


ちなみにこの説明会には、同じ学校に通う「外国からアメリカに来ている非英語ネイティブ」の親が40名近く来ていたが、この人たちは「普通に」英語を(第二外国語として)話しており、こちらとしては軽い劣等感を禁じ得ない。ヨーロッパ系の人は母語と英語との言語距離が近いから有利なんだろうけれども。。

こうした現実から色々なことを考えさせられる。 

2017年1月12日木曜日

ボストンのトーストマスターズで少年野球についてスピーチ


こちらに来て比較的まもない頃、プレゼンテーション(スピーチ)の講座を受講した。講師だったマイケルとはそれ以来関係が切れず、他の講座を受けたり、彼の作った教材の翻訳を手伝ったりして来た。彼は独立した講師だが、ボストンのトーストマスターズの一つの主催者でもある。トーストマスターズというのはアメリカで盛んな「スピーチクラブ」で、世界では15,000近くのクラブがあるらしく、ボストンだけでもたくさんある。各トーストマスターズはメンバーシップ的な運営なので通常は会員限定なのだが、彼の計らいで、彼が主催するクラブの通常会合でゲストスピーチをさせてもらうことになった。




なぜ、認めてもらったかというと、僕が講座で話したテーマが「私が体験した、少年野球における日米の違い」という「鉄板」のネタだったからだと思う。最初に話をした時は、poorな英語で5分くらいで終わってしまったが、推敲と練習を重ねてなんとか10分くらいは原稿なしで話せる最低限の形になって来た。

会合はボストンの都心で17時30分から1時間で12人くらいのメンバー、会社帰りのサラリーマンから学生など比較的若い人が多かった。まず、進め方が興味深かった。「先生」の指導型ではなく参加者の発言と相互批評重視、また、アジェンダと進行フォーマットと各人の役割が決めた上で進めるので、時間通りに終わることができる。ビジネススクールでも、学校のPTAでも、映画などで見るリハビリ療法グループでも、こういう感じの会合がアメリカでは多い。会議の生産性向上という視点から参考になる。話が逸れてしまったが、今回は係の中で、「Filler wordsを数える人」と担当いたのが面白かった。役割細分型職務主義だ。



メインスピーチ(僕)の他に即興スピーチのコーナー(例:あなたの好きな色は?この半年で成し遂げたいことは?など)もあったが、上手な人もいれば素人の人もいるし、英語の先生もいれば、英語を習っているESLもいるしで、色々だった。とはいえ、全体としては、就業後に自主的に参加する意識の高い人たちだ。最近思うが「意識高いセグメント」はアメリカでも日本でも考え方や行動がすごく似ている。勉強し、投資をし、運動し、ポリティカリーにコレクトだ。むしろ同じ国の中の差の方が大きい気がする。

自分のスピーチは、なんとか自分の中で80点くらいの出来で完遂。内容(文法や言葉)に意識の9割が取られてしまうので、発音やジェスチャーなどがうまくできない。今回も緊張のせいで途中から発音への注意が消えてしまった。RとL、曖昧母音などが今の課題、というか多分今後もずっと課題。

会場が超有名な教会の中だった

2017年1月9日月曜日

年末年始「ディズニーアニメーションスタジオは神ってる」と企業人として思った


年末年始に、2016年にアメリカで公開されたディズニーアニメを二本、家族で見た。ZootopiaとMoana。

Zootopia(ズートピア)はNetflix(英語字幕)で。

Moana(モアナと伝説の海)は近所の映画館で。(アメリカでは2016年11月公開。日本は2017年3月)

どちらの作品も素晴らしい出来栄えで、思わず「ディズニー神ってる…」と2016年の流行語で呟いてしまった。

しかし、こんな高クオリティの作品を年間に二つも出せてしまうディズニーアニメーションスタジオは「神がかり的に運がいい」というわけではなくて「組織としての実力」があるのだと思う。

どちらの作品もクリエイティブ面はジョン・ラセターががっちり統括して、監督や脚本は複数の精鋭を集めて合議のチームプレイで作っている。さらに外部からも一流のアーチストを起用している。それだけの資金もある。

やはり「神ってる」としか言いようがない。

日本にも「ポスト宮崎駿」という方が何人か居て、(自分はまだ見られていないのだが)2016年には名作が幾つもあったようで日本人として嬉しいけれど、ディズニー体制のこの巨大さと盤石さを見るに複雑な心境になる。

彼らはさらに社内競合的な別事業部として「ピクサー」も持っているのだから手がつけられない。「経営」「ビジネス」「コンテンツ」に興味のあるビジネスパーソンとして、今のディズニーアニメーション映画の体制やクオリティから学べることは多い。

Zootopiaは、評論家筋の2016年のベスト10にほとんど選ばれていたので、慌てて年末に見たのだが「ダイバーシティ」「アメリカ社会」に興味はある人には必見の作品だと思う。大統領選挙の最中にこれを作って出して、結局トランプ当選、という結果は、制作陣のみなさんの心境を察するに悲しいものがある。





Moanaは、1月2日に見た。プロレスファン的にはロック様の起用が話題。我が家的にはミュージカルHamiltonで話題のリン-マニュエル・ミランダが音楽を担当しているというところが興味の的だった。海の映像が美しく「娘の自立」というテーマももちろん個人的にツボでこれもなかなか良い映画だった。学校の娘のクラスでも多くの子が見に行っているようだ。

3月公開の日本版では誰が声優やるんでしょうね?音楽をそのまま聞いた方がいいので、字幕で見た方が良いと個人的には思います。 


2017年1月7日土曜日

休職中にしたい投資としての親指シフト


僕はもともと、要領よくスピーディーに物事をこなす、ということが好きなタイプだ。(それが良いことなのかどうなのかは、よくわからない)


「生産性向上」に関してはこれまでも色々と試してきた。そして、今回の休職期間中にぜひトライしてみたいと思っていたのが、このジャンルでのラスボス的存在「日本語入力方式の"親指シフト"」化である。

なぜ、これが生産性上良いかはこの辺りの記事を参照。

しかし、この入力方式を取得するには結構な量の訓練を要するらしい。多忙な中で取り組むのは無理だ。休職期間中しかチャンスはなさそうだ。こちらに来てからも時間配分の優先度として高いことが他にいくつかあったので、冬まで取り組めずに来たが、それらが少し一段落した12月の中旬、愛用のMacBookProを親指シフト化して練習を始めてみることにした。

「雪にスクールバス」が結構風情ある。


結論から言って、予想していたよりも「習得(練習)コスト」が高い。実質2週間程度、ローマ字入力をやめて
親指シフトだけでやった結果、キー配列はほぼ暗記したが、実用にはほど遠い速度のままである。

この先もう少し練習に時間を割こうか、これまでの練習をサンクコストとして処理しようか思案中。あと30年くらいはキーボード打つだろうから、ここで切り替えられるなら嬉しいのだが。

気がついたことは以下の通り。
  • ローマ字入力が速い人の場合、かなり真剣に練習したとしてもその速度に達するまでには数ヶ月かかりそう。そこまでの追加コストを払って取り組む価値のあることか大疑問。(まだ結論が出せない)
  • 今回は、仕事を離れていたからキーを暗記するところまでは行けたが、そうでなかったら元来運指スキルが低い自分はここまでたどり着くことすらまず無理だった。(楽器などが得意な人はもっとラクなのかもしれない)
  • 書くことは考えること。気持ちいい書き味は思考をドライブする。逆も然り。キーをスムーズに打てなくなると、考えられなくなる。
  • 日本語のキーボード入力が億劫になった結果、英語でメールを打つ方がラク!という状況になったのは予想外の発見。
  • 親指シフト入力は「身体知」「手続き的知識」なので理屈よりも実践練習がモノを言う。暗記も重要だが「指が」場所を覚えてくれることは実感した。あと、「焦る」「イライラする」タイプはうまくいかないような気がする。この辺、英語の取得と似ていると感じた。要は頭でっかちなタイプ(=僕)は上達が遅いスキルだと思う。遺憾。
もう少し練習を続けてから親指シフトを極めるか、考えたい。

2017年1月4日水曜日

2016年に映画館で見た新作映画のリストとベスト1



ほとんど私的な記録のための記事になってしまうが、(暦上の)2016年に映画館で見た新作映画&一言コメントをまとめた。(掲載順は2016年1月から自分が見た順)

脚本が素晴らしく巧みな映画。個人的にはかなり好き。多少同社の歴史についての基礎知識要。アップル好きなら見て損はない。

面白かったけど、長かった。悪くはないけれど、同じ宇宙モノなら他にも良いものがあると思う。

渡航前のバタバタで疲れていて、途中で寝落ちしてしまったが、娘と行ったので特別枠。ミラクルステッキライトで応援した。

原作本のファンだったので見に行った。あんまり映画としての印象が残っていない。

--以下アメリカの劇場で見た--

アメリカの映画館で見た1作目。意外に筋が複雑でセリフが聞き取れないために、なんで二つのチームが争ってるのか今ひとつ謎だった。そして2016年、実際にアメリカがCivil war 気味になっていったという。。。

詳しくは別にこのブログ記事に書いたが、美しかったし、日本人として嬉しかった。これが日本で劇場公開されないとしたら損失だと思う。

ニューヨーカーというかアメリカ人の持つ「911トラウマ」を感じた。あと、上映時間が短くてイイ。

荒野の七人、というか七人の侍。英語がさっぱり聞き取れず&ドンパチが凄惨だったという印象。あとイ・ビョンホンがイケてた。

演出が古い気がして、あまり入り込めなかった。映画のオチの部分の仕掛けを事前に知らなかったのでそこだけ度肝を抜かれた。

もうすぐ日本で公開される。タイトルが微妙にスライスして「ザ・コンサルタント」になっているらしい。内容はありきたりで残念な感じだと、個人的には思いました。

SF。映像と音楽は素晴らしかった。テンポが早いわけではないのに、ストーリーに若干複雑な謎かけ的なところがあり、肝心のところのセリフ理解があやふやだったところが残念。ちなみに、本作の監督があのブレードランナーの続編を撮っている。今後日本で公開。

地味で暗い作品ながらボストンご当地映画でもあり、個人的に推したい想い出深い作品。日本でも5月に公開するとのこと。日本でもう一度見たい。

見る前の期待値からして高かった。映画を見始めた最初は半信半疑だったが、見終わっての感想「この監督、強運&天才!」。二回目も劇場で見たい。サントラが聞きたいがためにSpotifyに加入したほど音楽も良い。

評論家筋からの評価が高くアカデミー賞に絡んでくるかもしれないとのことで見に行った。佳作な気もするが、何しろ黒人英語の会話の聞き取りが難しく、ほとんど何を言ってるのか分からず落ち込んで帰宅。


さて、2016年に見た新作映画の中でのマイベストはLA LA LAND

過去8年、年間マイベストを勝手に選んできたが、大体暗くて陰鬱な作品が多かった。おそらく自分がそういう性格なのだと思う。

しかし、このLA LA LANDは珍しく陽性の傑作だった。2月から日本で上映するそうなので、少しでも気になる方はぜひ見に行ってみてください。デートでも子供づれでもOKです。見終わったあと、淀川長治先生の名ゼリフが脳内に浮かびます。

それにしてもこの作品、日本だけ2月公開で、世界の他の国は(韓国も含めて)大体12月のホリデーシーズンに盛り上がっている。興行上の事情はわからないではないけれど、文化的な日本のガラパゴス化は(日本が独自の優れたコンテンツを作れることは誇らしい一方で)少し寂しい。


2017年1月1日日曜日

生活者として見た年末年始


あけましておめでとうございます。

(この場を借りて)本年もよろしくお願い申し上げます。

ボストンの街並みを望んでの初日の出

日本の年明けからかなり遅れて、ボストンもようやく初日の出を迎えた。

単に「時差がすごくある」ということなのだが、こちらでいうと「12月31日の朝に起きると日本の紅白歌合戦が始まっている」という状況なので調子が狂うことこの上ない。

2016-2017年は初めて海外での年越しを、それも生活者として、過ごした。考えてみればこれまで年末年始に国内旅行すらしたことがない自分だ。

せっかくなので、観察したことや感想を記録して起きたい。例によって長文、また、初体験づくしなもので、誤解があるかもしれない点はご容赦願いたい。

そもそも11月末の感謝祭(サンクスギビング)が想像外のイベントだった。4連休となる北米限定との風習だが、店も会社も休みになり、街が静まり返る厳粛感があり、料理も伝統的で定番のもの(アメリカのおせち料理的なものかと感じた)がある。これが日本のお正月に近いと感じた。それに続くブラックフライデーセールなどもこの感謝祭とセットで理解すべきことを知った。

そこから、1ヶ月でクリスマスとなる。この間1ヶ月間は皆は仕事はしているが、なんとなく街にホリデーシーズン感がある。クリスマスの飾りつけがすごいか?というと、この辺りの住宅街や商店は、あまり日本と変わらないかな、という程度である。



クリスマスの一週間前くらいから街は徐々に休みモードになる。小学校は意外にも22日まで普通にあった。多様性に配慮してのことだと思うが、公共の場所や商業施設ではMerry Christmas!という掲示はほとんど見なかった。Happy holidays!が相当程度の主流。ただし、25日当日になると、Merry Christmas!の挨拶は多かった。当日にこう言う分には別に良い、という感覚があるのかなと感じた。ちなみに、25日は店はほぼ休み、マサチューセッツ州ではアルコール販売も停止となるなど、休日感が凄かった。ちなみに、同時期にユダヤのお祭り、ハヌカのメッセージやオーナメントは多く見た。クリスマスの飾りつけはすぐに撤去されることはなく、年末まで維持される。すぐに正月モードになる日本とはそこは違った。

大晦日で面白かったのは、31日の夕方くらいからテレビやSNSはHappy New Year!という感じのモードとなったことだ。日本だと、0時をまたぐまではそう言わないはずなので、フライングのように思うが、文化的に時間感覚が違うようだ。そもそもが12月の終わりの時期からHappy New Year!は連発されている。

最近読んだある文章(ココ)によると、そもそも0時をまたいだところで日付が変わるというのが、近代独特の比較的新しい感覚らしい。日本人はすごく「0時」を重視しているような感じがして、これが近代にクイックに順応した民族の特徴なのかなぁなどと思った。

我が家は、カウントダウン外出などはせず、家でテレビCNNのカウントダウン番組を見ていたが、司会者の二人(ひとりはアンダーソン・クーパーという有名で素敵なキャスターなんですが)が大した芸もなくタイムズスクエアから4時間中継しているだけで、日本のテレビ番組の力の入り具合との差が大きかった。

ちなみに野球のフィールドは凍りついてしまっております


加えて、大晦日で一年が終わって何かがクリアされてまたまっさらな新年、という日本独特の「円環」的な時間感覚は、やはりこちらでは希薄なように感じた。個人的には日本の円環感覚に馴染みと安らぎを覚えますが。

正月はあっさりしたもので、元旦は祝日ではあるものの、新聞で見た統計によると正月を全く祝わない人も2割近くいるらしい。大体の人にとっては、なんでもない単なる一祝日に過ぎないとのことだ。元旦に注連(しめ)飾りが見られないことにはやはり違和感がある。今年は元旦が日曜日だったので振休で2日も休みだが、3日から小学校が普通に始まるので朝のお弁当作り業務も再開。


残りは90日程度。

元旦に撮影。酉年を意識して。