2016年6月29日水曜日

トランプ候補が(リベラル)ボストンへ来るというので野次馬しに行く

こちらでの滞在が偶然、四年に一度の大統領選挙と重なった。興味を持ってはいるものの、日常生活ではそれほど選挙を感じることはない。「サンダース支持」の看板がポツポツあるな、というのと、車のバンパーに候補者支持のステッカーがいろいろある、あとは現地のニュースと新聞で見るくらいだ。(共和党がトランプに一本化された時は大ニュースになっていた)

そんな中、「トランプ氏本人がボストンへ来る」という記事をBoston Globeで見かけた。非公開の資金集めパーティーをビジネス街の高級ホテルで開催するらしい。一人100万円で本人と写真が撮れる、とかカップルで250万の席があるとか。そしてソーシャルメディアを見てみると、(予想通り)抗議活動の予感がある。「ボストンを汚すな。来たら◯◯◯ぶつけてやる」とか。物騒だ。その日は、個人的にタイミング良く、予定的にも足を向けられるところだったので、現地へ向かってみることにした。(僕はもともとが、野次馬なのです)

道路封鎖に備える自転車隊。下は防弾チョッキでした。




晴れた平日の午前10時、(会合自体は12時スタート)現地へ向かってみると既に抗議団体が到着し、活動を開始しいていた。ボストン警察が大量に出動はしているものの、それほど緊迫感はない。ノコノコと抗議団体の隣まで行ってメッセージを聞いていたら若者から"あなたも参加して!"と言われる始末。それは丁重にお断りした。人数的には70人くらいで、予想していたほど多くはない。日本のデモ活動の方が人を集めている気もする。ただし平日の昼間であることを考えると、少ないとも言えないかもしれない。若い人が多く、ノリが明るい点は日本と違う気がする。


本人到着・開始の1時間前くらい。この後もう少し増えた模様


気勢を上げる声としては"Donald is a fraud!"、プラカードには “Boston against hate” “Boston rejects racism”などとあり、先生の団体、ソーシャルワーカーの団体などの旗も見えた。あと、メキシコと中国の国旗が掲げられていた。前者はよく分かるが、後者はなぜだろう。団体がシュプレヒコールを叫ぶ中、映画から出てきたような物凄い富豪風の夫婦がホテルに入っていくのが見える。

一人一人演説をかましているので聞いた。


ご本人の到着時刻が迫り、ちょっと緊迫感が出てきたところで、個人的に次のアポイントの時間が迫ったために、その場を後にせざるを得なかった。(その後も含め、本件のニュースはこちらから)

抗議活動として日本と何かが大きく違う、という程ではなかった。ただし、一つ気がついたことがある。


この70人くらいの抗議集団はホテル正面の通りを挟んで向かい側のビジネス用のビルの敷地内でずっと活動していた。神経質でリスク回避的な日本の企業や不動産管理会社、警備会社だったら「私有地ですからここでやらないで下さい」と追い出すところだと思う。ただし、そうした様子は見る限りなかった。意図的に許したのか、市民の政治活動を尊重する習慣からか。そこのところは分からない。 

2016年6月26日日曜日

ケンブリッジ市の小学校<興味深いその運営>






こちらの小学校の運営を見ていて当初の2か月強で「面白いな」と思ったことをいくつか。

以下、あくまでケンブリッジ市での個人的な体験に過ぎず、"アメリカの小学校はこうだ!"などと理解したわけではないことを強調しておきたい。マサチューセッツ州はアメリカの中で独特で、「その中でもここの市は独特!」と現地の知識人の皆さんは言う。余裕があれば、行政の仕組みを研究したいところだ。



さて、こちらの小学校は親のボランティア募集が多いとは以前から聞いていたけれど、実際に多い。「遠足の引率として同行しませんか」とか「バザーの手伝い」などのスポットのものもよく募集される。また、定常的なボランティアとしては、Googleアンケートを使った細かい意向集計(どういうものに関与したいかの聴取)があった。それくらいならあまり驚かない(注)が、ある時「補充教員採用の選考プロセスに参加しないか」と、親への誘い(E-mail)がきたことには驚いた。役割的には履歴書の審査への関与ということで、間接的な役割ではあるものの、「そういう風に親をステークホルダーとして意識しているのね」という驚きがあった。

教室。机は円形。討議重視の象徴か?



また、PTA的な組織で「ステアリングコミッティー」というものがある。5月くらいに夏休み明けの来期分について親メンバーの立候補の募集が来た。5名の定員に対して10名の立候補があり、しばらくすると全員分の所信表明を子供が持って帰ってきた。皆さん所信をA4一枚分くらい書いている。「私はグーグルでニューロサイエンティストとして働いている」と経歴でかましてくる人もいれば、過去の実績をアピールしている人もいる。出身でいうと、ブラジル、イスラエル、オーストラリアなど色々。これを読んだ上で、在籍生徒一人あたり、家庭からの「二票」で投票する。夫婦で意見が違う可能性に配慮しているのだろう。日本だと、「家庭で一票(夫唱婦随かその逆かは家庭次第として)」となる気がする。また、これが両親限定ではなくて、Extend-Familiyでも良いと書いてある。(その家庭がSingle Parentでも二票を行使できる、という意味。)この辺りの配慮がいかにもここらしい気がする。

小学2年のクラス内係表。いきものがかり的な。

秋の新学期からは、自分も何らかのボランティアとして関与したいと思っている。

注:「Googleアンケートくらいでは驚かない」とはいえ、「アメリカ(ここ)と比較すると日本のPTAなり小学校関係はITあまり使わないなぁ」と自分の限られた経験からは思う。これについては、ある方から「今の実権の主婦世代が、会社でWindows 95の一人一台PCを使う経験をしないままに結婚退職したからだ」という説を聞いたことがあって、「それは要因の一つとして大きいかもな」と感じた。だとすれば、時間とともに変わるとは思います。

2016年6月24日金曜日

ケンブリッジ市の小学校<SEIクラスとは>



子供たちはケンブリッジ市の公立の小学校の外国人向けクラスに入った。この市では幾つかの学校に外国人向けの別クラス(SEIと呼ばれている。Shelterd English Immersion)が常設されている。この種のクラスは市によっては無いところもあるらしく、さらに常設は珍しいことらしい。

経験してみると、当然ながらありがたい仕組みだ。英語の分からない子供をうまくアジャストさせていくノウハウが蓄積されているようだ。アートや歌、ゲームをうまく使って英語に慣れさせてくれる。こういうプロセスは制度や教材、ツールだけではなくて「ソフトなノウハウ、DNAみたいなもの、暗黙知」がものを言うのだと(企業人としての経験からしても)思う。おかげで、うちの子供二人も泣く日もあったが基本的にはうまく入っていくことができた。(年齢的なタイミングも良かったように見受けられる)

印象に残るのは長男のクラスのクラスメイトが初日に「仲間の証」としてNBAの選手などがやっている「ハンドシェイク」を教え込んでくれたことだ。言葉抜きでの関係の作り方としてこれがあるのか、という事と、何よりその子の心遣いに心が動いた。





ということで、このクラス(学年別になっている)では、アメリカ人は先生だけで、生徒は世界から来た子達であり、フランス、カナダ、ウクライナ、ハイチ、モンゴル、中国、韓国など多様だ。程度の差こそあれ、皆が英語が不自由な中、クラスとして成立しているのだから大したものだ。(日本人も各学年に1〜3名)

時々、保護者懇親会みたいな催しがあるので顔を出している。ある回でのお父さん方は「中国から近隣大学に来ている研究者」「フランスからケンブリッジのメディカル企業への駐在員」「ドバイからお姉さんの看病のために来た人」などだった。このクラスにおいては、保護者も英語は第2外国語、の人がほとんどなのでこちらがたどたどしくても多少気が楽だ。この会での先生からのメッセージは「学校のFacebookページにいいね!してね」「それから、このクラスからもPTA役員(ステアリングコミッティと言うらしい)を出したいから特別学級だからと遠慮せずに立候補してね!」だった。



引っ越してまもない時の懇親会で、学校のボランティアだというおばさまに自己紹介した時のことが思いだされる。「僕はここでは、主夫(full time husbad)ですよ、ハハハ」と話したら、「あら、いいのよ。私だって主婦(full time housewife)よ〜。同じじゃない?」とアメリカンな返しを受けて「ああ、自分アメリカ来たな」と感じた。さらに、「あなた、昨日マスアベ(マサチューセッツAve.という大通り)歩いてなかった?」と聞かれて、「ここはどんだけ村社会なの?」と思った。ただしその後の様子を見るに、そこまでの小さなコミュニティではない。あれは何だったのだろうか?

学校への関わりはまだそれほど深くはないものの、諸々の運営を見ていると興味深い(さすがプログレッシブな街!、と思う)ことが多いので、次はそのあたりを。

2016年6月22日水曜日

30歳のカリスマ起業家がトランプ候補について書いたBlog


6月中旬現在、大統領選は「トランプ旋風が曲がり角に来た」と言われ始めた。そんな中、サム・アルトマン(Sam Altman)というシリコンバレーの起業家兼ベンチャーキャピタリストによる「トランプ」というblog記事を昨日読んだ。僕はこの方の名前を知らなかったのだけれど、その世界ではたいそうなカリスマ(なんと、まだ30歳!)らしい。このblogの内容は、ビジネス人の端くれでもある僕としても大変興味深いものであったのと、後から振り返る時に面白いかと思い、時事的な記録として残しておきたい。

政治と関係の無い企業家の30歳の若者がこのレベルの深さの事を言えるというのはアメリカの懐の深いところだと思う。

最後から二パラグラフ目だけ引用&拙訳。


I take some risk by writing this (even though I’ve supported some Republicans in the past), and I’ll feel bad if I end up hurting Y Combinator by doing so.  I understand why other people in the technology industry aren’t saying much.  In an ordinary election it's reasonable for people in the business world to remain publicly neutral.  But this is not an ordinary election.

このブログを書く上で僕は多少のリスクをとっている。僕は、何人かの共和党員を支援してきたことすらある。そして、もしこのブログ記事によりYコンビネーター(注:彼がPresidentを務める会社)に悪い影響が出ることになれば申し訳なく思う。テック業界の人々がなぜ多くを語らないかは理解できる。もし、普通の選挙であれば、ビジネス界の人間は公的には中立を保つべきなのは当然だ。しかし、これは普通の選挙ではない。


上は、本文とは全く関係無く、近所のスーパーの前の掲示板に貼ってあったSummer Jobのチラシ。この地域はは本当にリベラルな?エリアで面白い。何をする仕事なのだろうか。面接受けに行こうかと思った。



2016年6月20日月曜日

英語:典型的日本人(僕)が「無言で愛想笑い」になりがちな一つの理由


自分の英語については遅々とした成長を嘆きつつ継続勉強中だが、英語コミュニケーションについてこちらに来た当初に感じた「新鮮な印象」をここでまとめておきたい。

外国語というのは表層的な言葉だけではなくて「文化や思想」もひっくるめたコミュニケーションの総合戦だ、とは「頭では」知っていたが、「住む」という機会を得て、最初の2ヶ月くらいの間このことを再認識する機会が多かった。

よく言われることだが、とにかくアメリカ人は「日本人に比べて」大げさだ。特に「誉める」形容がすごい。端的に言うと「大したことないこと」であっても"Great"が基本だ。暮らしてみて、褒め言葉のバリエーションは「多様かつ大げさ(今風に言うと、盛ってる)」だと実感した。具体的に挙げると、Best, Huge, Cool, Wonderful, Awesome, Lovely, Phenomenal, Fabulous, Exceptional, Incredible!等々。まだまだあると思う。

これまで40年間、純に日本で生きてきた身としては正直、これが辛い。なんだかんだで「高倉健」的なものが好きな自分が自分の中に確固として居る。しかし、こと英語コミュニケーションとなると、この感覚が障害になっていることを痛感する。頭では言った方が良いとはわかっていても、普通のことに対して、Great!という言葉が出てこないのだ。内心「この程度でGreatか?」という気持ちが捨てきれないので、それが(コンマ数秒ではあろうが)言葉を詰まらせる。結果「無言で愛想笑い」という最悪の日本人男性になってしまう。2か月くらいして慣れて少し変わってはきつつあるが、今後さらに変わるだろうか。


6月の夜8時ごろの空。サマータイムでとにかく明るい。



これに関連して一つのエピソードがあった。先月(まずは、そういうことでも勉強しようと)アメリカ流のプレゼンテーションのクラスに通っていた。講師の先生は的確なフィードバックをくれる人だった。元金融マンで、リーマンショックを機に研修業に転じた、という普通のアメリカのビジネスパーソンだ。今後もこの人と接点を持ってまた教えてもらおう、と思ったので2回目の授業の後、彼の名刺を貰っておいた。数週間後の最終回の際に挨拶をしたら彼はまた自分の名刺を出してきた。僕が「いや、もう貰ってますよ」と答えたら先生、満面の爽やかな笑みで「Wow, beutiful!」との返しだった。「そこ、おっさんが自ら"Beutiful"と言うか!」と思わざるをえないが、こういうものだとして謙虚に教訓としたい。自分も機会を捉えてBeutifulと言ってみよう。(と思うが、なかなか…)

余談ながら"Lovely!"という表現を男性は使わない、との事前の頭でっかち知識があったのだけれど、この前、別のところで知り合った米陸軍出身の30代男性が普通ににこやかに使っていた。言語は本当に多様で奥が深い。


プレゼンテーションを習った建物


追記:この先生が受講生のプレゼンを褒めるさま、その使用単語・表現がすごく勉強になった。すごいバリエーションがあった。

2016年6月18日土曜日

バレエスクールの待ち時間に日本企業で働いた外国人から率直な意見を聞く



子供の話として長男の野球の話が多くなってしまったが、娘の方はバレエが好きで日本でも習っていた。こちらでも続けようと、バレエのスクールを探していくつかの教室を周った。ケンブリッジ市内のとあるスクールに体験レッスンに行ったところ、同じクラスのアメリカ人の父娘さんが、なぜか我々を見て強く反応してきた。何と、つい2ヶ月前まで東京の日本企業に数年間勤務していて、ボストンに帰ってきたばかりだという。(麻布のあたりに住んでいたらしい)

女性ばかりのバレエ教室のレッスンが始まり、クラスのドアが閉じられて締め出されたおじさん同士二人で、40分ほど諸々話をすることになった。彼は「好きな食べ物は、広島焼き。お好み焼きじゃないよ!あの麺が入ってる方!」というほどの日本通であり、加えてとても理知的な感じだった。(あとで名刺をもらったらPh.Dだった)

彼の勤務先は某財閥系日本企業(いわゆる「コテコテの・・」です)だった。北米人としてその会社の日本オフィスで働いた存在としては草分け、になるらしい。日本企業に流行の「グローバル人材活用」の一環だろう。「日本の会社のこと、本音ベースでどう思った?」と聞いてみたところ以下のことを教えてくれた。


ヘンだと思ったところの第一としては「長時間働くところ。会社にいる時間が長い人が評価されているようにみえる。結果として、評価と成果のリンクが明確でない。」第二としては「酒を飲まないと本音を言わない。結局、酒が強い人が有利」と言う。割とステレオタイプな批判がそのまま二つ出てきた。日本企業のために数年間頑張ってくれた外国人の率直な感想がこれだった。このあたりは僕の専門でもあり、すでに理解していた話ではあるのだけれど、地球の裏側で偶然出会った人にまで言われると改めて「やっぱりそこか…」的な思いは禁じえない。

反対に、「良い」と感じたところとして教えてくれたのは「とにかく粘り強い。こちらの人なら諦めるところでも、しつこくやって成果につなげる」という点。確かに、野球でもバレエでも子供(特に低学年)に対する習い事指導を見ていると、日本ではかなり小さい段階から「粘り強さや規律を教えているな」と感じるが、こちらではそういう指導は非常に少ない。こちらでは「小さい子は好き勝手で当たり前」という前提が共有されているように見える。補足説明をすると、日本ではそうだった、ということはこちらの様子を見ることによりこちらに来てから事後的に認識した。幼少期から形成された特質が企業レベルでも残っているとも言えるのかもしれない。才能や年齢に関係なく、とにかくみんなで真面目に努力しようとするのが日本人的なのか。



ちなみに彼は「食事は東京が最高だね。新橋の居酒屋懐かしい。あと、ワイフは"ココ壱番屋"と"てんや"を恋しがってるよ」と話してくれた。確かに「てんや」みたいなクオリティと値段は、こちらの外食事情と比較すると奇跡とすら思える。ここ(ケンブリッジ)の外食事情が乏しい・高いとは決して言いたくはないけれど、飲食店に関しては日本、東京は最強過ぎる。

2016年6月16日木曜日

おそらく今季の地元リーグ唯一の日本人選手だったけれど「良い意味で」あっさりとした扱い


ここのリーグは、本当に"ローカル"だ。リーグ全体には約200人近くの子が所属しているらしいが、見る限り今年は日本人は我が家だけだ。考えみるとなかなか独特な環境だ。これには幾つかの原因が考えられる。第一に、地域自体に日本人が少ない。ボストン圏内には日本人が比較的多いエリアはあるとは聞くものの、今の住居がある地域にはそれほど日本人が居ない。第二に、主な活動が平日の夕方であり、かつ、送り迎えや練習中のケアが必要なので「父」がそこに絡めないと参加のハードルが高い、という事も考えられる。日本人女性(母親)だけでこの環境に絡むのはかなり難しいだろう。とにかく今年のこのリーグには日本人はうちだけの模様。更に言うとうちの長男の他にアジア系は別のチームで1人しか見たことがない。ボストンでも中国人は一大勢力ながら、野球の世界には居ない。野球のコミュニティは、いわゆるアメリカ人と中南米系アメリカ人に占められている。特に後者が多い。町では時々見かけるムスリムやインド系の姿もこのコミュニティにはいない。




と、いうことで、我が家は思い切り「マイノリティ」というわけなのだが、不思議と「アウェー」感は感じなかった。アメリカの懐の深いところというかなんというか「カラッとして」いて「あっさり」と受け入れてくれるのだ。何というか、あまり「詮索」してこない。「なぜここに来て、いつまでいるのか」「お父さん、いつも練習に来てるけど何で?(無職なの?)」などとはあまり聞いてこない。雑談はある程度するけれど、何というか「踏み込んで」はこない。「子ども本人が英語が分からない」ということにしても、「そうか。別にいいや」くらいの感じの扱いだ。ちなみに、チームメイトに一人、スペイン語しか分からない子もいた。このあたりの「カラっと乾いた感」は、日本人の中に外国人を受け入れる際のとの違いをすごく感じた。

さて、長男について言えば、日本でしっかり基礎を教わっていたおかげでこちらの同学年の子よりは上手い、ということが傍目にも明らかだった。すると「じゃあ、Youはピッチャーだな("You, on the mound!")」と、いきなり開幕投手に抜擢してくれた。その時にも「日本ではどこのポジション守っていた?」とか「何年間の経験があるの?」などを細かく確認することはなかった。加えて、「最初の何試合かは外野あたりで様子を見てから…」的なステップも無かったことにも、割と驚いた。よく言えば「フラット」、悪く言えれば「雑」だ。この抜擢のせいで、ピッチャーとしての登板機会が減った子の親御さんも、内心ではどう思っているのかは分からないが、とても普通に応援してくれる。「うちの子は、前から頑張ってたのに、いきなりやって来た謎の日本人が突然ピッチャーなんて!」的なオーラは感じなかった。このあたりが、日本的な何かと「前さばき」「調和」「既存の人の気持ち」に価値を置く運営、とは大分違う。人材の「流動性」で成り立っている国の一端を垣間見れた気がした。

 野球の試合をしているところに、アイスの販売車が来る。ちょっとした祝祭。


加えて、「あっさり」の裏側には、イチローの活躍をめぐるニュースを見ていて感じたことで、直接聞いたわけではないけれど、本家本元の野球王国であるアメリカ人は「日本という国の野球はどんな感じなんだ?」という興味をそもそもあまり持っていない気配も感じた。「日本では軟式という別のボールを使っていて…」とコーチに話をしたことがあるが、実はそれほど興味はなさそうだった。そういう意味での興味は薄い(=1)ながらも、上手そうな選手が来たらあっさり抜擢してやらせてみる(=2)、という1と2のコンビネーションが「アメリカらしい」と言えるのかもしれない。なお、中南米系の人は「日本の練習はどうなんだ?」的な興味を持っていた気がする。

少し、野球の話ばかりを書き過ぎた。面白い話はまだある、というか一番面白いあたりをまだ書いていないのだが。。。

2016年6月12日日曜日

ローカル少年野球をフィールドワークする -3- 低学年の部の試合



マイナーリーグ(低学年)の部は、5チームで総当たりを二回行う。試合は平日の夕方に週2回行われる。17時半開始で、だいたい19時半くらいまで。緯度が高い&サマータイムなので6月は夜20時30分くらいまで日がある。野球の試合も20時前までは明るさに支障はない。試合の前には少しだけ練習をするが、日本の少年野球と比べたら、かなりゆるい感じだ。基本的には「練習をしてチームを鍛えよう」という気迫はあまり無い。もちろん、コーチは未熟な子に色々教えてくれる温かさはあるが、チーム全体の底上げをしよう、試合に勝つためにココを鍛えよう、というような動きはほとんど無かった。ボールを取るor投げるの基本姿勢を教えよう、ということは、日本ではかなり重視してくれていたけれど、こちらはそれもほとんど無かった。結果的に、日本とアメリカ両方の低学年を見た自分の目からすると、低学年の技術レベルは日本の方が確実に高いと思う。

基本、近隣住民だが車で来る人も多い。



低学年の部の試合の主な特別ルールとしては「ランナーの盗塁、リード、振り逃げ、ボークは無し」「5点入ったらアウトにかかわらず交替」「バッターは来てる子全員(11人なら11人全員打席機会あり)」などがある。日本の軟式少年野球だと低学年(小学4年生)でも盗塁、牽制、スクイズまでやっていることと比較すると、こちらの方がかなり初心者向きのルールである。最初は、こちらは選手の技量が高く無いからこのようなルールでしかできない、という面が強いのかな、あるいは、間口を広くするためにこうしているのかな、と思った。ただし、体験してみると大きな違いとして「硬式」のボールを使っているので、小学3年生までにこれらのことをやらせるのは無理&危険だということが背景にあると感じた。とにかく、こちらの低学年は難しいことは抜きにして「ピッチャーはストライクゾーンまで投げられればそれで十分」「バッターは思い切り振れば良い」という風に割り切っていた。

試合については、毎回スコアブックはしっかりつけているが、それほど勝ち負けを気にしている風は無い。人数が足りなければ相手チームから借りる、全く打てる気配の無い子を3番バッターで起用し続ける、好投しているピッチャーもすぐ代えて次の子に投げさせる、などのコーチの采配を面白いなぁと思って見ていた。野球のゲーム的なディテールの例を挙げると「コントロールが定まらない相手ピッチャー」がいた時にバッターに対して「振らずによく見て行け!(というか、フォアボールで塁に出ろ)」という指示はこちらの低学年では全く無かった。明らかなボール球三連続を三球三振してきた子がいてもコーチも親も褒める。これに象徴されるように、とにかく勝ち負けよりも「試合をする」ということを重視している。



比較的ゆるく運営されていた中で、一つ、シビアだったのはピッチャーの投球数制限がリーグの規則に明記され、確実に管理されていたことだ。1日最大75球まで、1週間で100球まで、となっており、インターバルの日数も細かく決まっていた。これを確実にするため、試合では専門のカウント係の人がいる。試合中にコーチと「今、45球」などと話をしていた。実際に硬式ボールは小学生(特に低学年)には明らかに負担が大きいので必然から産まれたルールかもしれない。気になったので、日本の少年リーグの規則をWEBで見てみたが「最大7イニング」などやや曖昧な状況のような設定だった。真夏にやっている高校野球も健康管理面で批判されているが、このあたりは日本でも規制を強化した方がいいように個人的には思う。

次回は、低学年リーグ唯一の日本人かつ新参者だった我々がどうやって参加していたか、というようなソフト面の話をしたい。

追記:軟式ボールは日本独自の規格でガラパゴス的な存在ではあるけれど、小学生やアマチュアなどが比較的安全に楽しめるという点での功績は大きいな、と肌で感じた。(自分は硬式ボールを扱ったのは40歳にして初めてだった)

2016年6月10日金曜日

ローカル少年野球をフィールドワークする -2- リーグ概要の続きとコーチ


リーグのホームページによると、僕らが所属した地域リーグの創立は1953年とあり、マサチューセッツでも最も古いレベルの伝統がある。「リトルリーグは第二次世界大戦後、アメリカ中に"燎原の火のごとく"広がった」とのことだ。リーグは市の公式バックアップも受けている。

ミッションは次の通り。「野球の試合を楽しみ・学ぶ中で、少年少女にチームワーク、自己信頼、規律、ハードワーク、そして楽しむことを教える」

リーグは、「リーグ」として活動している感が強い。何が言いたいかというと、「チーム」が先にありきで、独立したチームが集まってリーグを構成しているということではなく、この地域リーグ(特に学年別リーグ)全体が一つの枠になっているということだ。チームやコーチはあくまで試合をするために便宜的に分かれている、という印象だった。少なくとも低学年でやっているマイナーリーグはそんな感じ(高学年リーグになるとまた違うのかもしれない)だった。このため、「チーム同士でガチンコで争おう」という気概はやや弱めで、リーグ全体として「野球を楽しくプレイする場を提供しよう」という雰囲気を感じた。



リーグには約40名のボランティアコーチが年間100-150時間貢献している。こう具体的に書くことができるのは、資料に明記されているからだ。明記は、コミュニティ維持のためのボランティア活動として寄付を集めるためのアカウンタビリティでもあるのだろう。僕の知る日本の少年野球は年末年始以外は通年で活動しているので、活動時間としては日本の指導者の方がはるかに長いだろう。しかし、こう言う風に数字で明記している例はあまり見たことがない。僕は「黙って貢献」する日本の美徳は好きだけれど、見える化はある程度してもいい気はした。

「寄付を集めている」と書いたが、リーグとして、スポンサーを一口500ドルくらいで集めており、企業やお店が協賛している。アメリカに根付く寄付の文化なのだろう。スポンサーはWEBページ等々で紹介されると同時に、各チームのユニフォーム(と言ってもシンプルなTシャツ一枚)の背中に名前が入る。チームが12くらいあるので、それぞれ別のスポンサー名が割り当てられていた。あくまでリーグへのスポンサードであって個別チームのスポンサーではない。地方議員などもスポンサーになっているので、息子のチームのユニフォームの背中には背番号の上にとある地元議員の名前らしきものがある。これは日本だと公職選挙法違反ではなかろうか?わかりません。ちなみに、我々は参加費用としては75ドルをオンラインでPayPalで(現金でも小切手でもOK)支払った。この費用は主にボール代などに充当される。




一つのチームにはコーチが4〜5名いる。皆さんボランティアだから、来られない時もあり、融通し合っている。息子のチームには4名のコーチがいた。ジョー、ヒュー、ミッシェル(⇦女性)、そして名前のわからない「長老」。コーチは、当然地元民で、今は造園会社に勤めたり自営業、といった人が多い。ご出身と思しき地元高校のウィンドブレーカーを今も着ていたりしていて、このあたりは、日本と似ています。みなさん、子供好き、地元好きのあたたかい人だった。

リーグの実質的な活動期間は4月から6月末のほぼ3ヶ月間だ。日本では通年の活動だったので短い気もしたのだが、実際にここで暮らしてみると、気候的に4月の前は無理だとわかった。実際、寒すぎる。メジャーが開幕した段階の時期でもボストンは下手すると雪が降りそうなくらいで、 RES SOXが本拠地フェンウェイパークを使うのは4月下旬からだ。加えて、夏はいきなり暑くなる。とはいえ、9月くらいまでは活動できると思うのだけれど、そこまでして野球に打ち込む、というノリはない。実質3ヶ月しか使わないのに、こんなに立派な球場があるのか!と、改めて思うが、そこには野球というスポーツのアメリカの歴史における特別な地位もあるのだろう。

長男のチームメイトでプエルトリコから来たという野球好きファミリーのお母さんが「ここは活動期間が短いよ!うちのふるさとでは一年中やってるよ!やる気が足りないよ。これじゃ上手くならないよ!」と話していた。日本人としても、気持ちは多少分かる。

まだまだ続く。

2016年6月9日木曜日

ローカル少年野球をフィールドワークする -1- リーグと設備


子供の学校方面の話、英語の話、勉強の話、家事の話など、ここで紹介する話の候補は色々あるのだけれど、あれよあれよという間に野球の地域リーグが終わってしまうので、野球の話を

最初におことわりだが、あくまで、この地域で僕が体験したチームの話が中心なので「アメリカのローカル少年野球は全てこうだよ」ということでは無いことを強調したい。別の地域の方で、アメリカの少年野球を長く経験した上で詳しくブログを書かれている方も複数いらっしゃるので、調査目的の方はそちらもご覧になってください。(たとえば、最初何もわからなかった時はこのブログを参考にさせていただきました)

まずはリーグの概要から。ケンブリッジ(人口10万ちょっと)のリトルリーグは地域別に四つに分かれている。近隣の小さな市だと、市で一つのリーグであることもあるようだ。長男が入ったリーグはその四つの地域リーグのうちの一つだ。この地域別リーグ内は、さらに年齢別で「ファーム(5〜10才)」「マイナー(7〜12才)」「メジャー(10〜12才)」の三つの部に分かれている。長男が所属したマイナーリーグは5チーム、メジャーリーグは4チーム編成されていた。1チーム大体13名くらい。だいたい、近所で自転車か歩いてフィールドに来られるくらいの学区みたいなご近所さんで構成されている感じだ。(ちなみにケンブリッジ市では意図的に小学校の学区と居住地域は一致させないようにしている。この点、社会政策的には興味深い話があるらしいのだがこれもまた別の機会に)

さらに、これは日本からすると驚くべきことだが、それぞれのリーグごとに専用の天然芝のホームフィールドがある。我らがリーグにも二つの球場があり、それぞれマイナーとメジャーが使っている。フェンスもしっかりしており、スタンドまである。このあたりは、日本の野球人が見たら「ため息」でしょう。なお、フェンスについては硬式ボールを使っているのでしっかりしていないと実際に危険だ。





フィールドは綺麗に整備されているが、こちらに来て1ヶ月目あたりはこれを誰がどうやって維持しているのかが僕にとっては謎だった。のちに、市の税金で専門の業者が行っているということが分かった。(ここはその財源余裕がある市だ、ということなのだとも思うが、これも継続調査したい。というか、自分たちはろくに税金も納めずこんなところ使わせていただいて申し訳なくなる)

一度にコーチに「この野球場はすごいですよ。日本では考えられない」と話したら「まあ、ここはそれほど良くはないけど、悪くはないかな〜。もうちょっと芝を短く綺麗に刈ってあげたいけど」と謙遜ぎみにおっしゃった。アメリカの男性は「芝」に命をかけている、と映画ではよく見たが実際、そんな感じだ。

 芝の中に散水栓が埋まっていて朝自動的に水が撒かれると知った時は驚いた

フィールドに絡めて設備と道具について言うと、こちらのリーグでは、日々の練習で子供がフィールドの準備と片付けを手伝う、という習慣はないようだ。日本では、練習時の「準備」と「片付け」は少年野球指導の欠くべからざる一要素になっている。日本の少年野球の子供達は「君らが練習するグランドを自分で整備するのは当たり前だ」と教わっているだろう。そういう感覚はこちらには全く無い。また、当然ながら練習前後に「グランドに礼」をするということも無ければ「道具を大事にする」という感覚も希薄だ。僕は日本のあり方に親しんでいるので正直違和感はあったが、優劣ではなく単に「文化の違い」として受け止めている。

ただし、少し企業の人事に寄せて考えると、こうやって育ってきた人達に対して、大人になって会社に入ってから「皆で職場を自主的に整理整頓しよう」などと言うのはそもそもが難しいな、とは思う。

最年少のファームリーグ。Tボールです。

野球のことばかり書いてると「お前野球しに来てるのか」と言われそうですが、記録がてら野球の話(コーチや親や子どもたち、試合運びや風土の違いなど)少し続けます。

それにしても。

僕ら親子だけでも毎回の練習後、グランドに練習前後に「脱帽して礼」をしたい気持ちはある(この気持ちと行為こそ日本人らしいと思う)のだが、妙な空気感を作るのも本意ではないので、心の中で済ませている。堂々と民族服で歩いてる人も多いことを考えれば、この日和り方もまた日本人らしいのかもしれないが。

2016年6月7日火曜日

ケンブリッジで2016年のコメンスメントを見る -3-  MITにマット・デイモンを見に行く



MITのコメンスメント(卒業式)は、開会前にメイン会場(チケットが無いと入れません)のキリアンコートを外から眺めた上で、ステージのすぐ裏の講堂のライブストリーミング会場で見た。卒業生とその家族で混雑はしていたけれど、ハーバードに比べたら規模的にはまとまりがあって、全体像は把握しやすい。


今回は、ケンブリッジの地元民、マット・デイモンの登場(帰還)をとにかくみんなして嬉しそうにしているのがどこか微笑ましい。もちろん、僕も野次馬として喜んでいるわけですが。

たとえば、当日朝のボストン・グローブ紙は「本日MITでスピーチをするマット・デイモン氏は、MITではなく、ケンブリッジ市内の"別のとあるカレッジ"に通っていた」とかニヤニヤ感丸出しで書いてる。公式中継の司会者二人もやたらとマット・デイモンに言及していて「昨日はきっと近所のお母さんの家に泊まってるよ」「問題は、ここへは地下鉄(レッドライン)で来るか、U-berで来るかだね」「いや、そこはパラシュートで空からでしょう」とかキャッキャッとやっている。


同時に開催?の卒業50周年の皆様です


定刻になり、いよいよセレモニーが開幕した。マット・デイモンが掃除夫の姿で現れたら面白い、などと予想していたがそんな「出落ち」をするわけもなく、普通にガウンで総長と並んで入場。スピーチ前の司会者の紹介が良かった。"Ladies and gentleman, please join me in offering a warm welcome to a wonderful kid from neighborhood, who's done a good job and truly has good will. Matt Damon!"

スピーチの前半は期待に応えて?地元ネタ(例:本当にここの近所で育ちました。昔、兄貴のカイルがMITの廊下に落書きしまして・・云々)を織り交ぜながら結構ゆるい感じで進んだが、後半はしっかり締めてきて、終わったらスタンディングオベーションだった。内容的には、僭越ながら・・・民主党支持のハリウッドスターの典型的なメッセージ(社会貢献を訴え、軽く銀行批判、軽くトランプネタで皆で笑う、など)だった気はします。ちなみに、今回の招聘理由の大きなところとされている彼が立ち上げた社会貢献団体はこちらです。

同時中継の講堂でマット・デイモンの後の学生代表(二人)の挨拶、それから総長さんの挨拶全てじっくり聞いたが、とても良かった。部外者ながらも、良い風土の大学だと感じた。特に学生代表の二番目の彼、しっかり「グッド・ウィル・ハンティング」のネタ、それも「そこだよな!」と言う共感度高いネタを絡めてきて、会場の皆さん(僕も含めて)映画を見た人はぐっときていた。


スピーチ中のM.デイモンの後ろ姿


他に、個人的に興味深かったことを二つ記録しておきたい。

一つは、式の冒頭の大学のチャプレンの挨拶。キリスト教ではあるのだけれど、ものすごくダイバーシティ(他の宗教の信徒が居ること)に配慮した挨拶だった。おそらく「キリスト」という単語をほぼ使わなかった気がする。さらには「科学者の皆さん、日々、世界の神秘を解き明かしてくれてありがとうございます」などとまでおっしゃるので、「同じキリスト教でも南部のエバンジェリストならそんなことは言わないよなぁ。さすが科学とダイバーシティが売りのMITのチャプレン」と感心した。

あとは、瑣末なところながら、大学のホームページでの案内。「各種、アピール団体の皆様へ。当大学は表現の自由を最大限尊重しています。しかしながら、本日は卒業を祝う場です。メッセージを発したい方には特別に場所を用意しています」的な事が書いてあった。何かうやうやしさを感じさせる英文でこれも妙に印象的だった。

MITを訪れるたび「ここはProgressiveだなぁ」と思うのだが、この日もまたそれを感じたのだった。

終わってみると、やはりマット・デイモンの印象が強いMITの2016年コメンスメントだった。地下鉄に乗り家に帰りながら、2016年現在のMITの本物のジャニター(用務員)はどんな人達で何を思っているのだろうか、彼らは大統領選ではどんな理由でどの候補を推すのだろうか、と、ふと思った。



2016年6月5日日曜日

ケンブリッジで2016年のコメンスメントを見る-2- ハーバード編


ハーバードの卒業式の日は5月下旬の(ニューイングランドではありますが)「皐月(さつき)晴れ」だった。アカデミックガウンの人たちは暑そうで熱中症を心配したくらい。日本人の僕としては卒業式=3月の公式が染み付いていたが、新緑の中で行われる中に身を置いてみるとそれはそれで良いものな気がする。


HBSの会場での学位授与の模様


ハーバードは巨大な大学(在籍学生は院生まで合わせて2万人超)なので、卒業生一人につき親兄弟など2名は来るとしても数万人の大量の人がキャンパスを訪れることになる。加えて、この(普段は比較的分権的に運営されていると思しき)総合大学は基本この日1日ですべての学部や院の卒業式をやるそうだ。しきりに、"One Harvard!"と強調していた。

そんな量の人員に対して、この頼りない交通・宿泊インフラで一体どうやってロジをさばき切るのか、という方に興味があったが、それは伝統の厚みでノウハウが蓄積されているのだろうし、Commencement ディレクターが任命されている。1日見ていても「そつなく」こなされていたように思う。メイン会場はありつつも、街の中に分散したハウスやキャンパス別の会場も使われていた。




実務面でなるほど、と思ったところとしては、1:メイン会場はチケット制、2:テロ対策のためのセキュリティチェックは厳しい、3:ライブストリーミングが充実、4:そのストリーミングには常に英語の字幕がつく、というあたりだ。あとは、この日はトイレが不足する、ということから、普段は「部外者お断り」の建物内部が解放されているところが多数あった。おかげでビジネススクールのベイカーライブラリーの中身をかなり見ることができたのは収穫だった。

会場(屋外のテント)の雰囲気は、好天もありそれはそれは華やかでくつろいだ感じだ。近づけないだろうと思っていたスピルバーグのスピーチ(内容こちら)も着席エリアは入れなかったが、結局普通に見ることができた。殺気立った/格式ばった雰囲気はそれほどない。

スピルバーグ。足元がスニーカーだったとか。。

ここの卒業生の皆さんは大雑把に言って「エリート」だと思う。この卒業式に出た中から将来(2040年くらいかな)の世界の指導者になる人も少なくないだろうから、頑張ってほしいなぁ、と素直に思う。後日、別の場で「ここの卒業生はパブリックセクターや教職を避け、高給ばかりを追っている」との嘆きも聞いたが、あまりシニカルになっても仕方ない。若い人に期待したい。

図らずも、卒業式を見学することができたが、自分の年齢(アラフォー)はちょうど微妙なところだ。「学生に近い」とも言えないし「完全に先生(親)目線」とも言えない。せっかくだからできるだけ気持ちは若く、コメンスメントの励ましは自分へのものとして受け止めるようにしようと思った。

セレモニーがおおむね終わった午後4時頃、帰宅しようと校門の外に出て、華やいだ人波を歩いていたところ、三人くらいのアラブ系の人がイスラエルの対パレスチナ政策に抗議する札を出して静かにポツンと立っていた。周囲からは黙殺されていたけれど、この三人が今日ここにこの札を持ってくる気持ちと意味はそれはそれでわかる気がした。

次回の記事はMITにマット・デイモンを見に押しかける編。


追記:この卒業式の日の夜、所用があり、夜10時頃再びハーバードスクエアを徒歩で歩いた。「早稲田の卒業式の日の高田馬場の夜」的な阿鼻叫喚(あびきょうかん)の世界を実は若干楽しみにしていたのだが、夜の飲み屋街は「いつもより少し賑やか」なくらいであまり普段と変わりはなかった。大人な学生たちだなぁというか、逆に「日本の大学生が異常」なのかもしれない。

2016年6月3日金曜日

ケンブリッジで2016年のコメンスメントを見る-1-


数年前から、アメリカの大学のコメンスメントスピーチ(卒業式の祝辞)を見たり読んだりすることが割と好きだ。自分が大学院の授業を担当するようになったということもあるし、スピーチはたいがい英語の文章としてもスマートなので、良い勉強になる。また、内容面もアメリカの良き部分が凝縮されているように思うので読んでいて気持ちがいい。

会場設営中のハーバード大卒業式のメイン会場




2016年も5月頭あたりから卒業式シーズンが本格化し、Webニュースのサイトに色々なコメンスメントスピーチのニュースが出てきた。自分が見ている範囲では今年のトレンドは明確で、「暗にトランプ候補を批判する」というもの。勝手に要約すると「君たち、大学で勉強したのは、煽動者から民主主義を守るためだよね」というメッセージだ。直接名指しでの批判はさすがにないように思うが、とにかく2016年はこういう内容が多い。オバマ大統領のこのロトガース大学でのスピーチはアメリカのニュースで結構取り上げられていた。このトレンドの中で個人的に名スピーチだなと思ったのはブルームバーグ(アントレプレナーであり政治家)のミシガン大学でのスピーチだ。ブルームバーグといえば共和党系だとの記憶があったが、こういう話をするとはすごいなぁと感心した。興味のある方はリンク先でお読みください。


こちらは行けなかったけどTufts。旗はCommencementとなっています。


さて、自分もせっかくこの場所に住むことができたのだから、卒業式も体験してみたい、と思うとやはりハーバードと、MITが候補になる。いろいろと話を聞くと、ハーバードが5月下旬でスピーカーは映画界の巨匠、スピルバーグ監督。MITは6月の上旬で、俳優のマット・デイモンがスピーカーだという。スピーカーが誰かというのは「巡り合わせ」なので(映画ファンとしては)大変ありがたい。特に後者、「マット・デイモンがMITに!」というのは、このブログの初期の記事でも書いた通り、彼の経歴を考えると興奮ものだ。

マット・デイモンは、1:地元ケンブリッジ出身、2:出世作「グッド・ウィル・ハンティング」ではMITの用務員役、3:ライバル校でご近所のハーバードを中退、4:2015年は火星宇宙飛行士役(The Martian)で活躍、とポーカーで言うところの「ロイヤルストレートフラッシュ」的な人選だ。決定時は、アメリカ芸能界的にも結構注目されたらしい。いくつか新聞を見てみたところ、MITは通常、科学者か政治家を招いており、芸能人は数年ぶりだという。ただし、大学当局は、マット・デイモンの「社会活動家としての側面を評価して」人選したと強調している。そこは名門大学であるから「人気者だから呼びました」とは言えないのだろう。ちなみに、数年前から候補に挙がっていたそうだが、ついに今年選出されたとのことだ。新聞記事での学長のコメントにあった"Son of Cambridge"というところが地元の盛り上がりを表現している。

この時期は盛んに「旗」が掲示される


一方、ハーバード大学は、スピルバーグ監督ということで、この人の来歴、フィルモグラフィーを考えるとハーバードのリベラルな校風とマッチする。加えて、やはりマット・デイモンよりも「総合」「大御所」感あり、これはこれで「総合大学」「Top of top」的なイメージのハーバードに相応しい気がする。この二人が「プライベート・ライアン」という作品で繋がっているのも何かの縁かもしれない。

ただし、こういう人選を嘆く人もアカデミック界にはいるかもしれないとは思った。邪推ながら、二つの大学とも経営上の要請から「大衆」「メディア」にアピールする意味で、分かりやすい記号性のあるゲストを選んでいるところもあるのかな、と、ビジネス人の端くれとしては思う。



さて、次回、それぞれの式への「勝手に参画記」へと続きます。

こちらはケネディスクールの準備中会場。このようにキャンパスごとに野外ステージが設営される。