と、いうことで、我が家は思い切り「マイノリティ」というわけなのだが、不思議と「アウェー」感は感じなかった。アメリカの懐の深いところというかなんというか「カラッとして」いて「あっさり」と受け入れてくれるのだ。何というか、あまり「詮索」してこない。「なぜここに来て、いつまでいるのか」「お父さん、いつも練習に来てるけど何で?(無職なの?)」などとはあまり聞いてこない。雑談はある程度するけれど、何というか「踏み込んで」はこない。「子ども本人が英語が分からない」ということにしても、「そうか。別にいいや」くらいの感じの扱いだ。ちなみに、チームメイトに一人、スペイン語しか分からない子もいた。このあたりの「カラっと乾いた感」は、日本人の中に外国人を受け入れる際のとの違いをすごく感じた。
さて、長男について言えば、日本でしっかり基礎を教わっていたおかげでこちらの同学年の子よりは上手い、ということが傍目にも明らかだった。すると「じゃあ、Youはピッチャーだな("You, on the mound!")」と、いきなり開幕投手に抜擢してくれた。その時にも「日本ではどこのポジション守っていた?」とか「何年間の経験があるの?」などを細かく確認することはなかった。加えて、「最初の何試合かは外野あたりで様子を見てから…」的なステップも無かったことにも、割と驚いた。よく言えば「フラット」、悪く言えれば「雑」だ。この抜擢のせいで、ピッチャーとしての登板機会が減った子の親御さんも、内心ではどう思っているのかは分からないが、とても普通に応援してくれる。「うちの子は、前から頑張ってたのに、いきなりやって来た謎の日本人が突然ピッチャーなんて!」的なオーラは感じなかった。このあたりが、日本的な何かと「前さばき」「調和」「既存の人の気持ち」に価値を置く運営、とは大分違う。人材の「流動性」で成り立っている国の一端を垣間見れた気がした。
野球の試合をしているところに、アイスの販売車が来る。ちょっとした祝祭。 |
加えて、「あっさり」の裏側には、イチローの活躍をめぐるニュースを見ていて感じたことで、直接聞いたわけではないけれど、本家本元の野球王国であるアメリカ人は「日本という国の野球はどんな感じなんだ?」という興味をそもそもあまり持っていない気配も感じた。「日本では軟式という別のボールを使っていて…」とコーチに話をしたことがあるが、実はそれほど興味はなさそうだった。そういう意味での興味は薄い(=1)ながらも、上手そうな選手が来たらあっさり抜擢してやらせてみる(=2)、という1と2のコンビネーションが「アメリカらしい」と言えるのかもしれない。なお、中南米系の人は「日本の練習はどうなんだ?」的な興味を持っていた気がする。
少し、野球の話ばかりを書き過ぎた。面白い話はまだある、というか一番面白いあたりをまだ書いていないのだが。。。
0 件のコメント:
コメントを投稿