2016年12月22日木曜日

Season's Greetings from Cambridge


初めて経験するアメリカでのクリスマス。

意外に静かなものに感じる。

交通渋滞の状況から推し量るに、仕事人が休暇に入るのはかなり早かった気がする。先週末から道路はすき始めていた。その分、年始の立ち上がりが早いようだ。


La La Land 風な色彩の空@ハーバードのハウス



Trinity Church


下は、今月映画館で予告編の前によく流れていたAppleのCF。(2 min.)

2016年の世相に対するメッセージが込められていると思われる。Apple的にギリギリのところだろう。

ただし、こういうのも「余裕のある」層のスカした自己満足では?という疑念が台頭した年でもあったとも言えるだろう。




ところで、本投稿で99本目。我ながらよく書いた。

おつきあい頂いた方には感謝です。

少しばかりホリデー休暇を取って、年明けから再開予定です。

Happy Holidays and warm wishes for 2017!

2016年12月19日月曜日

小学校で「Executive Functioning」



子どもが通っている小学校には月に1回、金曜日の朝8時30分から9時30分、コーヒートークという保護者向けイベントがある。

日本語で言えば文字通り「茶話会」であり、学校内外の専門家が、何らかのトピックについて話をする会だ。
12月のテーマは「子どもの"Executive functioning"を育てるには?」というものだった。


この日は前日から北極から寒波がボストンに流れ込んできたとかで、朝の気温が-16度だった。にも関わらず、会場の図書室は盛況で、50人近くの保護者が集まっていた。うち父親は2割から3割。こういうところだけでも、この辺(へん)の親の「意識の高さ」が感じられる。




講師は、学校付きのソーシャルワーカーの先生。アメリカではソーシャルワーカーの地位が高いとは知っていたが、実際にこの職業の人の話を聞くのは初めてなので嬉しい。

いつも通り、コーヒーや軽食があり、講師がMacbookAirを使ってスライドを投影しながら1時間程度の話をした。途中、フロアからの質問も結構出る。


そもそも、Executive functionという概念にそのものズバリ当てはまる日本語がないように思うが、「将来や状況を見通した上で、自分を統制して実行をしていく能力」というような概念で、Knowledge Wokerに必要なスキルそのものである。子供であれば「この先に何があるかを踏まえて、自分のことを自分でやる」的な能力を指すらしい。これを日常生活の中で、どうやって子供に育んでいくか、というのがテーマだった。基本はお手伝いや部屋の片付けから、ということになる。

若干導入部分の話を紹介すると、子供を成功に導くには、学力だけでなく、以下のSuccess Factorが重要だということだ。

  • 時間管理
  • 自己有能感
  • モチベーション
  • マインドセット(Growth mind setが大事。Fixed mind set はNG)
  • 効果的な努力
  • エグゼクティブファンクション(今日の本題)
の六つが必要だと言う話があった。これで思い出したのは、専門家の言うところの「非認知能力」という概念だ。こう言う専門的な知見に基づく話が普通にされていることに驚く(ここは公立ながらも例外的なのではないかと思っている)




話が終わってから、隣の席のお母さん(カナダ人)に「こういう能力は大人の職場でも重要ですよね。でも、日本にはExecutive Functionにぴったり来る日本語の言葉がないんですよね・・・」と話しかけたら、「概念を持つことは重要よ。20年前には私の国でもADHDとかADDとか、知られてなかったけど、こういうのを知れば問題に対処できるじゃない。アメリカはそういう点では進んでると思うわ。それに今日習った内容は私がMBAの組織行動論で聞いた内容と似てたわ」とあっさりと言われた。何とも、おそろしく意識の高い事である。

2016年12月15日木曜日

ボストン名物、いたるところでコンテクストに応じた"All set"


ボストンには"All set"という独特の頻出表現がある、と、日本にいた時から知っていた。

具体的には、英語学習者用のPodcast「All Ears English」の中のとあるエピソードで聞いた。前もって知っていたおかげで、こちらで現地人の"All set"との発声を最初に聞いた時にはすぐに分かった。「あ、本当に言うんだ」という感じで受け止めることができた。耳学問とはいえ、予習は役に立つ。



それにしても。引っ越してきてこちらで暮らしていると、とにかく街の中(少なくともケンブリッジの街)の日常で"All set"が予想以上に連発される。これには驚いた。街中にいると一日に一回以上は必ず聞くイメージだ。
店に入ってブラブラしていると店員さんが掛けてくる第一声が"Are you all set?"。何か商品の説明を聞いて終わると"All set?" 会計して終わるとレシートを渡しながら店員さんが"All set.(下げのイントネーション)"。イントネーションのバリエーションが豊富なのがポイントだ。店員だけではない。買い物客の方が探し物を相談していた店員に対して退店する時に"I'm all set."と目配せしながら言って帰るのも見た。君たち本当に"All set"が好きだな、と思う。調べてみたらボストンには All Set Restaurant & Barという店まである。

"All set"とは、文字通り、「O.K.」「セットされました」「分かった」「問題ない」というような意味だとの事だ。お笑い芸人好きの僕としては、ねずっちの「整いました」を思い出す。"All set"の 意味的なニュアンスはその場面場面のコンテクストに依存しており、それをイントネーションや表情に反映して使われているようだ。




"ザ・ハイコンテクストコミュニケーション"の国「日本」から来た僕には意外に嬉しくなるコミュニケーションだ。かつて、僕は講師として、異文化間コミュニケーションに触れて「アメリカ(英語)は低コンテクスト依存のコミュニケーションなんですよ」などとバサっと説明したこともあったけど、単純ではないなと思う。

さて、このAll setは意外に言語のイマージョン教育に良い言葉かも、ということを思いついたので、子供に英語を教える一環として、家の中で「しかるべきタイミングで、all setを使おうプレイ」をやってみた。歯磨きした後、何か説明をしたなどに「Are you all set?」「I'm all set.」という感じで家の中でも"All set"を連発してみている。確かにこの言葉、シンプルなのに幅広く使えるので、なかなか便利だ。子供が、英語の感覚をつかむ助けになれば、と願う。

なお、この"All set"は、ボストンの方言的なものだという説があり、米国内でも他のエリアではあまり言わない、少なくとも他のエリアでは当地ほど使わない、という情報を見る。どうなのでしょうか。

ちなみに、冒頭に紹介したPodcastは日常英語の勉強に役立つので、こちらでも聴き続けている。パーソナリティのうちの一人がボストニアンで、あるエピソードでボストン方言が話題になっていた。なお、他には、ボストンはRの舌の巻きが弱いということと、bummerという単語が紹介されていた。

2016年12月12日月曜日

これが本当のアイビーリーグ<大学のアメリカンフットボール>


僕はこれまでアメリカンフットボールとはほぼ縁のない人生を送ってきた。

しかし、こちらに暮らして8ヶ月、一番人気があるスポーツはアメフトだ、ということはよく分かった。テレビでも、新聞でも、Webメディアでも、近所のグラウンドでも、スポーツ用品店でも扱いは別格だ。

それだけに?NFL(当地:ニューイングランド ペイトリオッツの試合の観戦チケットは驚くほど高額(余裕で一人1万円以上)で、見に行くべきか迷っている。

そんな中、大学スポーツのアメフトなら一人15$前後で見られる、ということに気がつき、ハーバード大学アメフト部クリムゾン(一橋大学関係者には感慨もひとしお、の名前でもある)の試合を見に行くことにした。



対戦相手にこだわりはなかったが、日程的にコロンビア大学戦が良さそうだったので、これをWEBで予約。「これが本当のアイビーリーグ」とオヤジギャグを言いたくて、なんども呟いてしまった。

本当にIvy Leagueです


大学スポーツながら、スタジアム入り口のバゲッジチェックは厳しく、食料品は全て捨てろ、という管理は厳しいあたりはプロ並みだ。客層は女性も多く、家族連れも多い。客層にワイルドな感じはない。何も知らずに行ったので、間違えて、コロンビア大学サイドの応援席に入ってしまったが、最前列でど迫力だった。

以下、アメフト音痴の感想(本当にど素人の感想で申し訳ない限りです)

  • 何でこんなに選手がいるの?特にホームのハーバード側はコートサイドに大量の選手がわさわさしていて驚く。100人近く居たような・・・。
  • アメフトってこんなに頻繁に選手交代するんだ、知らなかった。
  • アメフトというスポーツは思ったより持久力よりも瞬発力が重要と知る。というか太鼓腹の学生選手が多い。そういえば、廃業した力士が何人かアメフトに挑戦してたな、、と思い出した。
  • 選手も多いし、審判も多いし、道具も大変だし、いかにも物量の国アメリカらしいスポーツだと思う。ボール一つのサッカーと比べて差が顕著。
  • 得点とった方のチームの応援団が点数分腕立て伏せをする風習があるらしい。「意気軒昂」な所を示すため、とか。実際見たけど笑えた。
  • チアリーダーという仕組みを改めて見ると、性別役割分業の最たるもので、こういう分業を是としていることと「ロッカールームトーク」が許される風土はどこか繋がっているのではないか。


ちなみに、2016年11月、ハーバード大学の体育会活動では、セクハラ(的な)問題での部活動全体の停止処分が相次いでいる(記事)。かなりリベラルな地域ではあるが、一方で、そういう面もあることはご紹介しておきたい。 

2016年12月9日金曜日

ご当地映画:マンチェスター・バイ・ザ・シー Manchester by the sea


この投稿タイトルの映画が、愛聴しているTBSラジオの町山さんの映画コラムのコーナーにて「ボストン地域ゆかりの映画」として紹介されるのを聴いたので、映画館へ行ってきた。

マンチェスターというと「イギリス?」と思うが、ここニューイングランド地方に実際にManchester by the sea という名前の街があるそうだ。


今住んでいるところダイレクトにそのものではないが、New Englandエリアの風景が出てくるので、映画の世界に浸ることができる。


いつもと違う映画館へ遠征(市内のKendall Square)



あらすじとしては「ボストンで用務員として黙々と働く中年男性(というか、僕と同じ歳の設定だ)が、とある事件をきっかけに、一度は捨てた故郷に帰り人生を見つめ直す・・・」という感じのありがちな感じのものだ。

ただし、町山さんのラジオの紹介書き起こしの記事にあるように、渋い作りの映画になっている。簡単に楽しめる作品ではなく、観た人によって好悪が別れるタイプの作品だとは思うが、個人的にはかなり良かったと感じた。

ストーリー全体からも、一見、無駄と見えるようなシーンからも、監督・脚本の確固とした世界観、人間観が感じられた。たとえば、主人公二人が誰かの家を訪ねた帰りに、「車どこに止めたっけ?」ということで住宅街を下を向きながら歩き回っているだけのシーンがある。やがて車は普通に見つかったが、特にオチはなかった。ストーリーを進める上では全く意味のないシーンだ。しかし、なんとなく「人生には、こういう、意味もなく、オチもないウロウロがよくあるよね」という心象が伝わってくるのだ。

あと、マサチューセッツ州のリアルなワーキングクラスの苦闘を描いていると言える部分もあり、ある意味では「トランプ現象」の下敷きとなった社会を活写していると言えなくもない。誠実な作りのたまものだろう。




今年、僕は、アメリカで英語がわからないままに現地で映画を観ているという特殊な状況にある。その中では、これまで観てきた映画の中で一番素直に「良かった」と言える気すらするほど良かった。ストーリーが比較的シンプルで、セリフに頼る部分の少ない映画なので助かったからそう感じているのかもしれない。(とは言え、現実と回想が行き来してわかりづらい部分もあった)

本作は評判が高く、アカデミー賞に主演男優賞などで食い込んでくるかも、という話もあるらしいが、それも納得の主役ケーシー・アフレックの演技だった。

日本公開日は現段階では未定とのことだが、もししてくれたとすれば、帰国後日本で見られる機会があるかもしれない。(もう一度見ても良いと思っている)

2016年12月6日火曜日

Are you kidding me?(まじで?)


ここ数年、僕は中年の身に鞭打って英語力の向上に努めてきた。しかし、こちらにきても結局大した向上が実感できず、このあたりがオレの限界か・・・、と諦め(悟り)気味の最近だ。

それはさておき、今回は、子どもたち(9歳と6歳)の英語の身につけ方を観察してきたことを少し記録しておきたい。

彼らはほとんど英語を知らない状態(できる範囲で少し馴染ませることは東京でやった)でアメリカにやってきた。4月にこちらのパブリックスクールの外国人向けクラスに編入させた時に学校の先生が言った。

「私たちも教えるけど、子どもは同じクラスの別の子どもから英語を学ぶのよ」

この言葉は何か印象深く残ったが、8ヶ月経過後の今は、これが本当だとよくわかる。

もちろん、先生たちが英語を教えてくれる術も立派なものだが、家で子どもの口からポロポロ出てくる英語を聞いていると、「あ、クラスルームの友達同士の会話でそういうフレーズが出ているんだな」と感じるものが多い。以下、概ね時系列的に出てきた順。


  • Can I see ?
  • Look! Look at that!
  • Do it! 
  • Stop it, XXX!(ここにクラスの問題児の名前が入る) 
  • Don't do that. 
  • I hate〜. 
  • Can I eat?  (数ヶ月すると、Can I のバリエーションが広がっていく)
  • Can you bring this? 
  • Stop saying that.
  • Over here? 
  • What are you doing?
ああ、笑えるかな小学生男子だな、と思うのは、
  • What the heck! (なんてこった! FXXXの変形らしい What the hellという子もいるよ、とのこと。これとにかく小学生男子の間で頻発するらしい)
  • Are you kidding me?  (お前なめてんの?)
  • Are you crazy? (オメー、頭おかしくね?)

の三つをかなり早い段階で覚えてきたこと。

三単元のSとか全くお構いなしにこういう言葉から先に覚えていくのが見ていて面白い、というか羨ましい。

A:"Are you kidding me?(なめてんだろ?)"
B:"No, I'm not.(なめてないよ)"
A:"You are!(いや、お前なめてる)"

のやりとりみたいな、とてもシンプルな単語だけながらも「英語がフィジカルに体に入ってないと絶対にできない会話」を聞くにつけ、受験英語、ガリ勉英語一本できたおじさんとしてはせつない。

ちなみに、発音は当然いい。これは下の娘の方が良い。特にRとLが明快に分かれている。幼稚園で、一音づつフォニックスの指導をしてくれているらしい。発音が良すぎて何を行ってるか聞き取れない時がある。

子どもの言うことが、文法的に間違っていることは結構ある。ただし、これは絶対に指摘しないようにしている。たとえば、"Can I playing a Pokemon GO?"などというが、全く直さない。僕は基本的に押し付けがましい、あまり指導適性の無い親だと自覚しているが、これだけは注意している。(追記:子供の証言によると、クラスの子の中には、Mr. Trump is don't OK. とか言っている子(南米から来たばかり)もいるらしい)

こちらで「子どもの英語教育」について外国人に相談すると「家庭内で親子で英語で話す」というのが究極のアドバイスのようだ。街や近所で注意深く観察すると、韓国人や北欧系の親子は、親子だけの時でも二人で英語で話しているのを見かける。

日本人のご家庭でも、こうしているご家庭が時々いらっしゃるようだが、少数だと思う。親の覚悟の問題なのだろうか。

逡巡しつつも、僕も、学校の行き帰りくらいは子どもの英語にお付き合いさせていただいている。





2016年12月3日土曜日

ボストンで聞いているラジオ局 -2-


前に書いた記事に続いて、こちらで聞いているラジオ局をご紹介。




ヒット曲を扱うステーション。R&B、ヒップホップなど。ウーバーで、黒人でいい車に乗ってるドライバーがよく聞いている感じ。僕も若作りして時代についていくためには、この局も時々聞かねばならない。(誰にも頼まれていないのだが)
ボストンのクラッシック音楽局、なので、当然ボストンフィルのシンフォニーが中心。それはそれでいいのだけれど、この局だけだと少し疲れる。
いわゆるNPRラジオで、ボストンパブリックライブラリーにスタジオがある。基本的にニュースやトークショーなので聞き取りとしてはハードルが高い。ヒアリングの修行になる。


この局は正直、ボストンとは関係ないのだが、クラッシックについてはLondonから発信しているこの、Classic FMが一番落ち着く。これまでいろいろなクラッシック局を聞こうと試したてきたけれど、結局、日本にいた時から長年聞いているこの局に回帰してしまう。ブリティッシュアクセントなナビゲートと落ち着いたジングルの組み合わせにしっかり慣れてしまった。特に、ここに引っ越してきて気分が落ち着かない4月の頭頃は、日本でよく聴いていたこの局の聞くことでかなりリラックスした。この曲を流すと、部屋の空間がすぐに「馴染みの雰囲気」になるのがありがたい。日本にいた時も感じたことだが(朝は朝っぽく、夜は夜っぽく放送しているので)Londonとの時差が無ければ最高なのだが。

インターネットで聞くラジオ以外では、"Amazon Prime Music"と自分で構築した10000曲の"iTunes Match"も適宜活用している。

加えて、東京時代からヘビーリスナーだった、TBSラジオもこちらでも引き続きよく聞いている。どうやって?というところもそのうち紹介したい。

それにしても我が事ながら過剰な体制だ。音楽とラジオの話は尽きない・・・。

2016年11月30日水曜日

エグゼクティブスクールのダイバーシティ


ケンブリッジは、とても多国籍な市でもあるし、選挙の結果でも「社会の分断」が話題になっているから、徒然なるままにダイバーシティの事を再考することが多い。

最近もMITのエグゼクティブスクールに出席した際に改めて考えた。

クラスには、およそ20か国の人がいて、自分が話した記憶があるだけでも、アメリカ、ドイツ、ペルー、ブラジル、中国、インドネシア等々の人がいた。業種的にも組織ステージ的にもとても多様だったのだけれど、冷静に考えると、実はこれ「ダイバーシティが豊富」なのではなくて、同質的な集団なんだな、ということに気がついた。



まず、皆「英語」を話している。すごく当たり前のことだが、国籍問わず英語ができないとこのクラスに参加できない。第二言語の人も多いので程度には差はあるが全員英語を話す。

次に、ITを使いこなしている。ほとんどの参加者がノートパソコン、タブレット、スマホの三種類を使っていた。Appleがやや多いがサムソンとsurfaceもよく見かける。(残念ながら、日本製のラップトップはもはや見かけない)

僕は日本で、日本人だけで行う同種の研修もよく見たけれど、少なくともガジェット(機器)の活用については日本以上な印象。先進国の人だろうが新興国の人だろうが、おじさんも女性もITを駆使している。ちなみに、Apple watchが10人に1人くらいいる。年代層を考えると結構高い比率だと思う。新しいものに貪欲&お金があるのだろう。

「英語とIT」15年くらい前から大前研一先生あたりが指摘していたことそのままで、当たり前といえば当たり前ではある。

ちなみに、研修中に、忙しそうに会社に返信している人もチラホラ。これは、日本でも見た光景だ。

そもそも、皆、ビジネス界の幹部で、わざわざMITの高額なスクールの特定テーマ(今回はイノベーション)に参加する人である。俯瞰的に見ると、とっても狭い人種なわけで、単純に「地理的に世界中から集まっているからダイバーシティが高い」とは言えない、と改めて思った。

高額なだけあって、ケータリングも豪華。


一応、思うだけでなく、クラスの中でもでもそう提起してみたら、参加者も、それはそうなんだよね・・・、と言ってくれた。(ただし、話がそこで止まってしまった・・・。この現状をどうハンドルするか、実はあまり答えが無いようでもある)

2016年11月27日日曜日

市のホールでみんなでU2を合唱する会 -2-



前の記事からの続き。

ライブが始まった。ステージ上にはファミリー合唱団が登壇し、それと観客が一緒に歌うという趣向。ちなみに客層は富裕そうな白人家族が中心。登壇する合唱編成は曲によって変わる。




セットリストとしては、Angel of harlem, I still haven't what I'm looking for, 40, Wild honey, Beautiful day, One, Mysterious Ways, With or Without you, Sunday Bloody Sunday, Pride, All I want is you....などなど。懐かしめの選曲が多く、自分も含め、みんな歌える名曲ばかり。欲をいえば、Walk onとかBadも入れて欲しかった。

U2の膨大なディスコグラフィーの中から、ゴスペル系、アメリカルーツ系を選んでいる感じ。欧州風の曲は外している感じで、U2の曲は本当に幅広いなぁと改めて感心する。それぞれコーラス用にコンパクトに良いアレンジがされていた。

それにしても、U2が提示してきた価値観とは逆のことを言う大統領が登場する現実のタイミングで、これらの曲を歌うとなると、嫌が応でも、歌詞の意味を意識してしまう。

たとえば、Sunday Bloody Sunday(1983年発表)より。
And the battle's just begun

There's many lost, but tell me who has won

The trench is dug within our heartsAnd mothers, children, brothers, sisters

Torn apart 

Sunday, Bloody SundaySunday, Bloody Sunday

How longHow long must we sing this songHow long, how long 
Cause tonight, we can be as one

Tonight, tonight. Tonight, tonight
この時のアメリカのリベラル派の気分にかなり合致してしまっている。

この会自体では政治的な話はなかったけれど、歌詞カードを見ながら頭を抱えている人がチラホラいた。司会の人が「先週(注:大統領選挙の開票日のこと)、私たちは an intresting experieceをしましたね」などと言っていて、この地域の政治的なことに対する公の場での婉曲表現はこんな感じなのか、と勉強になった。アメリカ人だからといってなんでも直接的にいうわけではない。

ちなみに、Pride (in the name of love)の際には、世界の人権状況の改善に尽くした偉人(ガンジーとかMLKとか)をスライドで流しながら歌うという演出があり、これはU2もライブで実際にやっていたことではあるのだが、地域の草の根でのイベントでこういう精神を実際に目の当たりにすると「本当に凄いものだな」と思う。

会場の市の公会堂

おまけ:Pride





2016年11月25日金曜日

市のホールでみんなでU2を合唱する会 -1-


9月、近所の公園をジョギングしていたら、掲示板に衝撃的な張り紙を見つけた。

U2の活動40周年を記念して、みんなでU2を歌おう」というイベントがあるらしい。ご当人たちが来るわけでもない勝手イベントだ。僕は20年以上のU2ファンなので「この街はなんでこんな面白いイベントするの?」と興奮してしまった。

言うまでもなくU2はアイルランドのバンドであり、ボストンとは特に関係がないはずなのだが、やっぱり「(リベラル)思想的に」繋がっているのだろうか、と思う。

社会人になりたての頃、ボーナスでU2のライブDVDを買うのを楽しみだった。中でも傑作は"Live in Boston"だとこれまで思ってきたが、改めて考えてみるに、世界のあらゆる都市でライブを行うU2がボストンを商品として発売したのは偶然ではないのかもしれない。ボストンはアメリカでもっともコアなU2ファンが集まる街であるかもしれない、と住んでみて気がついた。ちなみに、収録されたライブ会場は今はTDガーデンという名称になっており、NBAとNHLの本拠地である。

加えて、このライブの当日は、トランプ氏当選の翌日、というタイミングになってしまった。いろんな意味で楽しみすぎる。

日が短く弱くなって、15時前だけどもはや弱い日差し


午後3時から市の公会堂で、ということで会場に着いてみると家族連れでいっぱい。現場でみると「U2ファンの集い」というよりも「主催のコーラスグループの集い」という側面が強いようだ。

当日歌う曲の歌詞が印刷されたカードまで配られて、否が応でもみんなで歌おう感が高まる。

開始前には、"Pride (in the name of love)"の歌唱指導から。サビをハモれるように指揮者が指導してくれる。この選曲が「いかにもこの地域らしい」と思う。

この曲は公民権運動のヒーロー、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を歌ったものだ。話はライブからそれていくが、当地に住んでみて、MLKが東部インテリリベラル白人にとっていかに特別な存在か、ということを実感している。ケンブリッジ市には名前を冠したMLK通り、MLK小学校もあるし、普通の学校に普通にMLKのポスターが貼ってある。黒人ではなく、白人が積極的に讃えているのだ。こういうところで、ここはいわゆるポリティカリー・コレクトネスの本場だと肌感覚で実感する。


小学校の体育館に普通に貼ってあります。(これもMLK)

前置きが長くなってしまったので、ライブの話は次の記事へと続く。





2016年11月22日火曜日

ボストンで聞いているラジオ局 -1-


日本にいる頃からラジオを聴くのが大好きで、東京の家でもジョギング中でもよく聞くし、出張に行った時に当地のローカル局を聴くのも好きだ。札幌、盛岡、名古屋、大阪、いろいろ聞いてきた。ラジオがいいのは、季節感を感じられることと、その土地独特の息吹が分かることだ。(スマホで聴けるようになって便利)

ボストンに引っ越してきた時も、真っ先にラジオ曲の探索を始めた。タクシーやウーバーに乗る時に、運転手さんが何をかけているかを欠かさず観察する、あるいは尋ねてみることをマメに重ねた。

その結果、今では以下のようなラジオステーションを家でよく聞いている。PCをBluetoothでスピーカに繋いでいるだけなので、日本でも聴くことができる。最近は、サンクスギビングモードが感じられ、クリスマス色も出てきている。

家の雰囲気を作る、英語に慣れる、ためにも海外のラジオを流しっぱなしにするのは良い方法だと思う。


局の名前にリンク入れてます。

Easy 99.1

Easy.99.1 WPLM FMは懐かしの洋楽中心で、ディスクジョッキーのおしゃべりも適度にあり、全体に古き良きアメリカのラジオ局という感じがいい。季節感のあるボストンの情報やローカルCMも入るので、地域感が濃い。何より、40代の洋楽ファンにとっては「絶妙」と感じる選曲が多い。流れる曲になんとなくアリー・myラブの世界観を思い出す。"Hooked on a feeling"とか"Love is in the air"みたいな感じの曲を沢山かけてくれて、雰囲気がいい。

引っ越し3か月後くらいにこの局を見つけて以降、今では一番多く聞いている。平日の午後からは帰宅するドライバー向けの番組、夜は、恋愛相談の電話コーナー、日曜日の夜は「ストリクトリー・シナトラ」とか言って、フランク・シナトラだけをかける番組、など生活の一部になりつつある。子供によると、学校でもこの局を聞いた(サウンドステッカーでわかる)そうだ。




Magic 106.7 Boston

Today's hit's, Yesterday's Favorite という局のキャッチフレーズ通り、新曲と懐メロを交互にかけてくれるという音楽好きにとってはありがたい局。ちなみに、ボストン以外にもこういう局はある。ただし、比率的には懐かしの洋楽が中心。クリスマスシーズンになると一気にクリスマスソングが多くなる。(これは多くのラジオ局がそうだが。)Easy 99.1を見つける前にはこの局をメインにしていた。


さて、ラジオは自分の中でも大きな趣味なので、クラッシック専門局、日本のラジオをアメリカで聞く、など、まだまだラジオの話は続く。

ハーバードCoop書店での2016BEST。師走(じゃないのか・・・)の雰囲気も。

2016年11月19日土曜日

地上から見た、選挙結果の影響


リベラルCity、ケンブリッジ市に衝撃が走った選挙の後の10日間。街の中をよく観察するように心がけて過ごしたので、自分の目で見たことを記録しておきたい。

全体的に、静かではある。有色系の人々の表情や挙動は暗いものを感じる。逆に、街の大多数を占める白人の人たちが、うちのようなアジア系に少し優しく気を遣ってくれている感じがした。あくまで主観なので証明のしようはない。

近所では、西海岸やNYのニュースにあるような激しいプロテストの感じはない。表向きは黙々としており、公の場では選挙の話題に触れないようにしている雰囲気を感じる。アメリカ人の本当に親しい人同士では話しているのかもしれない。自分のような余所者はアメリカ人とは選挙の話題をしづらい。逆に、外国人同士だと割と気楽に話せるのだが、まあ、誰とでも「信じられんね」「恐ろしいね」という感想にはなる。

中立を意識してこういう言いまわしになる@MIT 虹色


ハーバード、MITとも総長が声明を出しているが、バランスに配慮した抑制的な内容だった。(いわゆる、トランプ支持者を抑圧するリベラル、といった一方的な論調ではない感じ。)今週はちょうど、市内のキャンパスを回る機会もあったが「アジビラ」的なものはほとんど見かけない。大学の外の街の中でもそういうビラは見かけない。品の良い街だと思う。

先週は子供の小学校に行って担任の先生と話す機会もあった。この学校は(普通の公立なのだが)リベラル教育に力を入れていた。(例えば、図書館にで一番目立つところにあるポスターはローザ・パークスとか。)やはり動揺は隠せないようで、セラピー的な試みを見かけた。先生に「大統領選の結果について教室で話していますか?」と聞いてみたら、隙のない洗練された中立的答え(でも、言外に何かを感じる)をいただいたのが印象的だった。回答のガイドラインが教育委員会から回っている可能性も感じた。

地元インテリ紙、ボストングローブは、反トランプの論調を緩めるつもりはないようだ。むしろ「アメリカの伝統である地方自治の原則に戻り、地方の自治を貫こう」といった論説を乗せていた。これは、今のリベラル地帯に広がっている代表的な意見かもしれない。特にBostonは、アメリカの先頭を切って歴的に色々なことを変えてきた事実もあり、そういう気概はあるようだ。

最後に、事実として、これまで7ヶ月一度も見たことがなかった「ヘイト落書き」を地下鉄で初めて見た。市内でのヘイト事案も幾つか起こっているとのローカル紙報道もある。日本の公衆トイレにも落書きはあるから、過剰に考えたくはない。(そういえば、予備校のトイレの落書きが特にひどかった。ストレスが落書きを産むのか・・)

日本の報道を見ていると、新大統領は決まったこと、として早々に消化されているような感じもするが、現地にはそれとは少し違う感覚があるし、解消されるとも感じられない。

関係ないけどBostonの良いところにユニクロがオープンした

2016年11月16日水曜日

選挙が終わった街の教会の礼拝に参加して、安全ピンを受け取る


アメリカに住む機会に少しでもこの国を理解するため、ローカルな教会の礼拝に行ってみたい、と前から思っていた。(注:僕は特定の信仰なしです)

しかし、いくら野次馬根性だけは旺盛な自分とはいえ、さすがにこれはハードルが高い。"知らない教会に入ったが最後、監禁されて・・"、、などと無知ゆえに考えてしまう。

春から街を歩きながら調べを進め、一番、オープンそうな教会に目星はつけた。なんといっても教会のドアにアラビア語でウェルカムメッセージが書いてある。どんだけオープンなんだ!という感じ。南部では考えられないだろう。ここなら大丈夫そうだ。




さて、選挙の結果が出た後の最初の日曜日、自分のスケジュール的にも合致したので、ついに礼拝に訪問してみた。

日曜日の10時からの礼拝。受付のおじさんがとてもフレンドリー。名前と連絡先を書くカードがあるのだが「プレッシャーに感じるなら書かなくてもいいよ」と言われた。

中に入って驚いた。最初は、ずいぶん簡素な、プロテスタント系の意匠だな、と思って礼拝堂を見ていたのだが、そもそも、十字架すらない。祭壇にはヘブライ語で「Tikkun olam」とある。ヨーロッパで見たカトリックの教会と対比したら、「ここはもはやキリスト教ではないのではないか」という域だ。僕は宗教好きなので、少し専門的に話すと、ここはユニテリアン・ユニバーサルというキリスト教プロテスタントの中でも新しいかなりリベラルな一派だ。この派は、三位一体説を否定しており、合理主義とヒューマニズムを重視している。ちなみに、ハーバード大の正門前にある教会も、この宗派のものでハーバードの先生の関与も多いと本で読んだことがある。この宗派の話(この地域のリベラル思想と強く関連しているようでとても興味深い)は別にさらに研究したい。



礼拝に話を戻す。

家族連れが多く会場は満員だ。最初から癒しモードだ。冒頭、「今日初めて来た人起立ください」と言われた。15%くらいの人が起立した感じだろうか。進行中に、何かをアジテートする雰囲気はない。選挙の話は間接的に出るが、ここは政治の話は切り離す、というコードがしっかりしているようで、あくまで穏やか。笑いも時々出て、深刻で思いつめた雰囲気まではない。「このような結果が出ても、私たちのコミュニティが、愛と寛容を重視することに変わりない」と司会者が言った。途中、カゴに入れられた安全ピンを恭しく皆が取っていた。自分も一つもらった。現場では意味が分からなかったのだが、あとで調べるとこういうこと(リンク記事)らしい。(自分はいつでも後から調べる。。)

瞑想の前の説教になると、静かに泣いている人たちが少なからずいた。選挙の後、少なくとも公の場では騒がず、静かに「わかるよね」「察するよね」的なハイコンテクストなコミュニケーションが交わされているのをよく見る。これはニューイングランド地方の特徴なのだろうか。意外に日本らしいとも感じる。

ちなみに、新規訪問の怪しいアジア人(見た目からして浮きまくり)でもいい感じに放置してくれて、何かを強制されるような雰囲気のない安心できる環境だった。

少し俯瞰的な情報を足すと、ここは、Cambridgeの隣のArlingtonという街の教会で、勝手な印象だと東京の世田谷区か杉並区みたいな感じのエリア。比較的お金と余裕がある人が多く住んでいる街だ。それから、あくまでこれは僕が今回行ってみた教会での話であり、帰り道で見た喫茶店は満員だったし、普通にサッカークラブの活動をしていた人もいた。教会に行く人が多数派ではないのだとは思う。ただ、こういう教会がこの辺の人の「考え方」の一つの拠点になっている気はする。



午後、街を歩くと、近所の教会が「ヒーリングパーティー」を呼びかけるビラを貼っているのを見かけた。そして、自宅マンションの隣にある教会からは初めて礼拝への勧誘を受けた。どちらも過去半年の間に一度もなかったことだ。いやらしくいえば、今回の選挙結果は教会にとっては「新しい信者獲得の好機」という面もあるのだろうが、それを超えて、教会が街を癒そうとしていることを感じた。

天気的には穏やかな週末だったのが救い



2016年11月13日日曜日

リベラル世界の中心で、トランプ勝利を考える -3-


日本のメディア、特に経済系のメディアだと、「トランプはマーケティングの方便として暴言を吐いていた。意外にマトモになりそうだからいいんじゃないか。むしろ炎上マーケの例として見習うべき」「ローカルの時代だから当然だ」「本当のアメリカは中部なのだ」というような論調を多く見かける。こちらで地べたで見ていた立場として、とても気になるのは、トランプ氏はこの選挙戦で、アメリカが(あるいは先進国世界が)大事にしてきた倫理観を破壊してしまったことだ。それはグローバリズム賛成か否かというレベル以前のものだ。これは現地で見ていて本当に酷かった。(ネタとしてやったのだとしても)他人に対するリスペクトという倫理観を蹂躙した人が大統領になることはシンプルに残念だ。こういう角度の視点が日本からだと見えにくいのではないかと思う。




選挙本番の前に子どもの学校から「学校便り」のプリントが来た。そこで校長先生は書いていた。「毎年10月というのは浮かない月ではあるけれど、今年は特にそうだ。大統領選挙の報道内容が、親にストレスを与え、子どもにも影響を及ぼしている。そのことを学校でも懸念している」と。日本でそんなことがあるだろうか。

選挙2日後には、市の教育委員会から親宛にメールが届き「選挙後のストレスケアのためのリソース」の紹介があった。ならびに、メールの中で「教育の現場は、オープンで、インクルーシブな環境を守ります」との表明があった。
Many of your children may have come home from school yesterday describing caring and supportive dialogue taking place in their classrooms. I am confident that all members of the community will continue to teach and lead with our shared values of inclusivity and openness, fairness and justice, and love and caring. 

ここの学校には40か国からの生徒がおり、それをまとめるのはただでさえ大変な中で「あの暴言大将」を大統領として頂くことになった教育現場の公務員教員の方の心中を察するに苦しいものがある。同じことが病院でも、会社でも発生しているはずだ。「とにかく注目を集めるため」だからと言って、こういう破壊をして良いはずがない。

念のためだが、僕はトランプに投票したアメリカ人を責めるつもりは全くない。朝日新聞の好連載「トランプ王国を行く」を全て読んだ(これ素晴らしく良かった)が、支持者の間の止むに止まれぬ憂国・愛国の心情を感じた。

だからと言って「トランプでOK」「仕方ないよね」と済ませるのは、自分としては違うと思う。



個人的な読みとして、本当にアメリカ全体が「トランプ化」していくとも思えない。事実として、アメリカ全体での得票数はヒラリー6084万票、トランプ6027万票と、トランプが57万票も少ない。今回のトランプの得票数は、過去の共和党候補だったマケインやロムニーよりも少ないらしい。

さらに、この絶対数に個々の支持者の内実(所得や教育や発信力)を掛け合わせて考えると、差はもっと大きくなる。「少数派」が選挙制度の間隙を縫ってトップを獲れてしまった、という状況に見える。反対に激しい憤りを持つことになったリベラル派がこのまま退潮するとも思えず、情勢は不安定化するだろう。これこそが、アメリカが抱えてしまった課題で、これが結構深刻だと思う。

以上が、にわかウォッチャーとしての一旦の選挙ウォッチのまとめ。これからしばらく少し忙しくなるので、いつもの淡々としたペースに戻る予定です。

2016年11月11日金曜日

リベラル世界の中心で、トランプ勝利を考える  -2-



(前回からの続き)

大統領選期間中はケンブリッジの街の中は静かだった、ということを何度か書いた。それもあって、僕は、メディア、具体的にはボストングローブ、ワシントン・ポスト(ちなみに今は、オーナーがジェフ・ベゾス)、ニューヨークタイムス、CNNを中心に選挙戦をウォッチしていた。一応、リテラシーのたしなみとして、これらのメディアが中立ではないこと(これらはすべていわゆるリベラルメディアである)は意識はしていたつもりだ。

どうするThe Boston Globe.. オバマ・トランプ会談のニュース流れる喫茶店にて。



ここで実感として強調しておきたいのは、これらメディアは、選挙戦中盤以降、極めて強い論調でトランプを批判しまくっていたことだ。これは多分、日本にいたら感じられなかった温度感だったと思う。この猛攻撃が、結果が出た今となっては非常に微妙な雰囲気を生んでいる。大きく二つのことを感じる。

一つは「拳を激しくふり上げすぎたために、落とし所がつけられない」というような雰囲気。例えば、当日の深夜から翌日にかけてのCNNは見ていてその辺が気の毒なレベルだった。ボストングローブも、散々トランプにダメ出ししてきて、これから社論をどうするのか、と余計な心配をしてしまう。おそらく、少し大人しくした後、トランプの失策が出てきたら猛攻撃を再開するのではないか。しかし「トランプはバカだ」と強く言うことだけでは、分断は解消できない。そのことに気づいた方がいいと思うのだが。

もう一つは「これだけ(芸能人もセレブも総動員して)誘導キャンペーンをやったのに、思うように導けなかった」というような虚脱感。フィラデルフィアのヒラリーの最終演説にはジョン・ボン・ジョビとブルース・スプリングスティーンまで動員してたのに、結局ここの州もヒラリーは落とした。二人のファンだった僕としてもちょっとがっかり。ちなみにハリウッドの映画界・芸能界もほぼ総動員で民主党に肩入れしてこの結果となっている。芸能界も結構ショックが大きいと思う。

しばらくは癒しが必要な街の雰囲気


これらは結構深刻なトラウマになるだろう。今の所、クリントンサイドは「潔い」声明を出しているし、トランプも改心モードだ。日本語メディアでは「もう手打ちだよね」「株価も落ち着いてるし、まあいいか」という感じの報道があるが、選挙戦をどっぷり見ていた限りでは「これだけ"Divisive"にやりあっちゃったら、人情として、"ノーサイド"は無理だろね」「これからこの国の中は重いことになるね」と感じる。

今回の選挙戦では、トランプが煽ったインテリへの憎悪(=A)と、トランプ嫌いのインテリが煽ったトランプに対する憎悪(=B)がある。前者と後者で比較すると、後者の方がねちっこい形で尾を引きそうな気がする。Aの方が浮動的な気分の方が多そうで、Bの方はそうではないからだ。ボストンエリアは(カリフォルニアも?)Bを消化するのにしばらく時間がかかるだろう。

ちなみに、はっきり書いておくと僕は"トランプはダメ(Unacceptable)"の側だ。ねちっこく先鋭化はしないが、「彼がこの後うまくやるならいいんじゃない?」と迎合するつもりもない。意見を聞かれることがあれば「(部外者の日本人ではあるけれど)個人的にはあれは当選させるべきではなかった」と言い、具体的に理由を説明する。

さて、ここの地域が強く押していた考えは、この選挙では望む結果を得なかった。しかし、"アメリカのリベラルの筋金の入り具合(※)"と"この思想が世界に影響を与えてきたこと"については、ここに住んでみてこそ強く感じている。

この人たちのエネルギーと厚みはまだまだある。単純に「逆コース」へ進むとはあまり思えない。今回のこともあくまで動的な歴史の中での一点に過ぎないと思う。今回の結果が出た途端に「こうなることは予想できた」「グローバル化は限界だ。世界は内向きに向うだろう」とか言ってる論者の軽さは何なのかな、と感じるのは、自分が今リベラル世界の中心に居るからだろうか。

※(余談):選挙の結果が出た後、近所の食品スーパーに買い物に行ったら"Black Lives Matter"のトレーナーを着て買い物してる白人の中年女性が居た。(これの醸し出すニュアンスを書くと長くなるのでやめますが・・・強い意思表示です)これを見て、ホント、ここはリベラルの中心だなぁ、と思った。"マダム、 いいトレーナー着てますな・・・”と、話しかけてみたら良かったかもしれない。
あと一回くらいは、大統領選ネタを予定。今回の件で大変なところの一つは、実は教育現場(子供たちの学校)なので、その辺りを書いておかないといけない。