2016年11月16日水曜日

選挙が終わった街の教会の礼拝に参加して、安全ピンを受け取る


アメリカに住む機会に少しでもこの国を理解するため、ローカルな教会の礼拝に行ってみたい、と前から思っていた。(注:僕は特定の信仰なしです)

しかし、いくら野次馬根性だけは旺盛な自分とはいえ、さすがにこれはハードルが高い。"知らない教会に入ったが最後、監禁されて・・"、、などと無知ゆえに考えてしまう。

春から街を歩きながら調べを進め、一番、オープンそうな教会に目星はつけた。なんといっても教会のドアにアラビア語でウェルカムメッセージが書いてある。どんだけオープンなんだ!という感じ。南部では考えられないだろう。ここなら大丈夫そうだ。




さて、選挙の結果が出た後の最初の日曜日、自分のスケジュール的にも合致したので、ついに礼拝に訪問してみた。

日曜日の10時からの礼拝。受付のおじさんがとてもフレンドリー。名前と連絡先を書くカードがあるのだが「プレッシャーに感じるなら書かなくてもいいよ」と言われた。

中に入って驚いた。最初は、ずいぶん簡素な、プロテスタント系の意匠だな、と思って礼拝堂を見ていたのだが、そもそも、十字架すらない。祭壇にはヘブライ語で「Tikkun olam」とある。ヨーロッパで見たカトリックの教会と対比したら、「ここはもはやキリスト教ではないのではないか」という域だ。僕は宗教好きなので、少し専門的に話すと、ここはユニテリアン・ユニバーサルというキリスト教プロテスタントの中でも新しいかなりリベラルな一派だ。この派は、三位一体説を否定しており、合理主義とヒューマニズムを重視している。ちなみに、ハーバード大の正門前にある教会も、この宗派のものでハーバードの先生の関与も多いと本で読んだことがある。この宗派の話(この地域のリベラル思想と強く関連しているようでとても興味深い)は別にさらに研究したい。



礼拝に話を戻す。

家族連れが多く会場は満員だ。最初から癒しモードだ。冒頭、「今日初めて来た人起立ください」と言われた。15%くらいの人が起立した感じだろうか。進行中に、何かをアジテートする雰囲気はない。選挙の話は間接的に出るが、ここは政治の話は切り離す、というコードがしっかりしているようで、あくまで穏やか。笑いも時々出て、深刻で思いつめた雰囲気まではない。「このような結果が出ても、私たちのコミュニティが、愛と寛容を重視することに変わりない」と司会者が言った。途中、カゴに入れられた安全ピンを恭しく皆が取っていた。自分も一つもらった。現場では意味が分からなかったのだが、あとで調べるとこういうこと(リンク記事)らしい。(自分はいつでも後から調べる。。)

瞑想の前の説教になると、静かに泣いている人たちが少なからずいた。選挙の後、少なくとも公の場では騒がず、静かに「わかるよね」「察するよね」的なハイコンテクストなコミュニケーションが交わされているのをよく見る。これはニューイングランド地方の特徴なのだろうか。意外に日本らしいとも感じる。

ちなみに、新規訪問の怪しいアジア人(見た目からして浮きまくり)でもいい感じに放置してくれて、何かを強制されるような雰囲気のない安心できる環境だった。

少し俯瞰的な情報を足すと、ここは、Cambridgeの隣のArlingtonという街の教会で、勝手な印象だと東京の世田谷区か杉並区みたいな感じのエリア。比較的お金と余裕がある人が多く住んでいる街だ。それから、あくまでこれは僕が今回行ってみた教会での話であり、帰り道で見た喫茶店は満員だったし、普通にサッカークラブの活動をしていた人もいた。教会に行く人が多数派ではないのだとは思う。ただ、こういう教会がこの辺の人の「考え方」の一つの拠点になっている気はする。



午後、街を歩くと、近所の教会が「ヒーリングパーティー」を呼びかけるビラを貼っているのを見かけた。そして、自宅マンションの隣にある教会からは初めて礼拝への勧誘を受けた。どちらも過去半年の間に一度もなかったことだ。いやらしくいえば、今回の選挙結果は教会にとっては「新しい信者獲得の好機」という面もあるのだろうが、それを超えて、教会が街を癒そうとしていることを感じた。

天気的には穏やかな週末だったのが救い



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