2016年4月30日土曜日

ケンブリッジ市のリトルリーグ(少年野球)への参戦 -2- アメリカ野球人との出会い


渡米間もないわが家は車を持ってないために、日々の気晴らしに乏しい。加えて、立派な野球フィールドが住居から近いことがわかった。自然と、野球小僧の要望によりほぼ毎日歩いて野球場へ通い自主練をすることとなった。これはこれで健康的でいい。しかも美しい天然芝の上という贅沢だ。

しかし不審なことに、4月10日前後になっても、フィールドが野球の練習に使われている様子がない。野生の水鳥がのんびりとくつろぎ、犬の散歩をする人がいるのみだ。丹念に英語の看板をチェックしたのだが、特に私有施設との張り紙も無いようだ。最初は遠慮していた我々日本人親子も、ある時からはグランドに入って練習を始めた。

隣が池なので水鳥がのんびり。野球人はどこに行った…。



最初の数日だけは日本から持ってきた軟式のボールで練習していたのだが、その後子供は硬式にあっさりと切りかえた。硬式のボールは重たい。そして、天然芝であるゆえに日本ではあまりなかったイレギュラーバウンドがあるということに悩んでいる様子だったが、やるしかない。

僕はといえば、日本のドン・キホーテで2,900円で買った軟式野球用グローブでこのアメリカ野球生活をしのぐつもりで途中まで頑張っていたのだが、小学2年生とはいえ本気で硬式球を投げられると皮の薄い軟式用グローブだと手のひらが痛い。就寝時に左手が腫れてきたのを感じたので、觀念して硬式用グローブを買った。35ドルながら、十分なスペックだ。野球道具に関しては他のものに比べると日本よりも安い気がする。

それにしても、これだけ立派な球場が使われていないのはもったいないな、野球人たちはどこにいるのだろう・・と思っていた4月半ばのよく晴れた土曜日。家族で散歩をしていたら、遂に少年野球チームが練習しているのを発見した。すると、うちの長男は、その野球場の脇で猛然とキャチボールを開始した。後で聞いたら、自分なりに「熱意&存在感アピール」のつもりだったらしい。

すると、コーチらしきおじさんが声をかけてきてくれた。「良かったら練習に参加するか?」日本でもそうだったが、やはり少年野球に関わる野球人はあたたかい。


遂にアメリカの野球人を発見し、練習に混ぜてもらった。










長男も、本人なりにチームの練習のレベルを観察し、「これなら行ける」と思ったのか、自分から練習に参加していった。英語は全く分かっていないが、野球知識とプレーだけで入っていけている。スポーツの素晴らしいところだ。また、日本のチームでしっかり鍛えていたもらっていたことがありがたい。

ここで初めて米国式の練習を見学できたことは「日本の野球練習との比較」「どういう英語が使われているか」など、これまで日本に浸かりきっていた僕にとっては新鮮で面白いことばかりだった。

練習終わりにコーチと話をしたところ、ケリーに聞いていた通り「4月下旬のトライアウトに来れば良いよ」「まだプレシーズンだからさ。シーズン始まったら平日に試合、土日に練習するよ」とのこと。年齢別のリーグになっていて、長男は年齢的にマイナーリーグ所属の最上学年になる。4チームくらいが組成され、トライアウトでコーチがプレーを見て指名する、戦力が均等になるように毎年入れ替えているんだよ、というような話を聞くことが出来て、視界がぐっと開けてきた。トライアウトが何なのかは具体的に分からないながらも、それを目指して準備をしていく段階が始まった。( トライアウト編へ続く)

あっという間にボールはボロボロになった



2016年4月29日金曜日

(いろいろ調べすぎ、になる前の)ケンブリッジ市の第一印象




以下は、あくまで異邦人による一ヶ月時点の第一印象に過ぎない。印象はまた変わっていくとは思うけれど、こういう段階で一旦文字に書いておくと、後で振り返るときに面白いので、友人の皆さんへのケンブリッジ市の紹介も兼ねて書いてみたい。仕事柄、「統計的な観点からの検証もしないといけない」いう強迫観念はあるのだが、今回はまず印象論を中心にする。

ケンブリッジは、ボストンとチャールズ川を挟んで北の対岸にある別の市だ。これは日本に居るときから知識としてはわかっていたものの、実際住んでみないと感覚は分からないものだ。川を挟んだ隣、ということから「東京に対する川崎」「東京に対する船橋」など色々たとえを考えるのだが、強いてたとえるなら方位は違うけれど隅田川の対岸、という感じだろうか。あるいは、ボストンとケンブリッジの関係は大阪市と豊中市などに近いのではないか、と(西日本に詳しくないながらも)ぼんやりと思う。両市は実質的には一体、のように表現してもおかしくはないのだろうけれど、こちらに来ての実感としては両市は厳然として違う、という印象が今のところある。ケンブリッジは歴史も古く、偏差値の高そうな街なので、地元住人はボストン市に対してもプライドを持っていそうだ。
両市を隔てるチャールズ川

ケンブリッジ市といえば、ハーバード大学とMITだ。たった人口10万の街にこの二つの大学がある(実は他にもある)という世界的に見ても特異な街である。このため「石を投げればハーバードの人」という表現はあながち誇張ではない。実際に僕が娘のクラスのお父さんと話しても、近所の人と知り合いになっても普通にハーバードの研究者だったりする。まあ、東大の隣地区に住んでいると思えば、そういうことだろう。

これらの大学では、色々なイベントが数多く行なわれている。パブリックに開放されているイベントも多い。著名な学者と割と普通に同席できてしまう環境である。個人的には、早速参加したハーバードのセミナーで、Japan as No.1で著名なエズラ・ヴォーゲル先生が普通に参加者として聴講されていて絶句した。黙っていらしても知の巨人独特のオーラが出ていた。

話をケンブリッジ市に戻すと、一口に(それほど大きくない)ケンブリッジと言っても地域によって割とはっきりと趣きが違うのが面白い。ハーバードの近辺は古都大学街の雰囲気だ。対して、二駅しか違わないMITの近辺はいかにも工科大学らしいギーク臭がある。また、街中には「スクエア」が多数あり、それらの雰囲気は標準的なアメリカと言うよりはヨーロッパ風な気がする。また、隣接する別の「市」であるサマービル(ここにも名門タフツ大学あり)の街も落ち着いた素晴らしい雰囲気でこれから開拓したい。うちはノース(北)ケンブリッジという、少し大学街の雰囲気とはまた違う自然ありの素朴な場所にある。何しろ、水鳥やらリスが普通にうちの横を歩いてる。

どこも20〜30分で回れる距離感にもかかわらず、個性の違いが明確なのは面白い。街の中で大学の存在感は大きいのだろうが、決して「大学だけ」「スノッブなだけ」という感じでもない。うちの近くにもムスリムの集会場があるなど多様な人の生活感のある街でもある。とはいえ、おそらく、アメリカ全体の中では裕福で安全な特異な街なのだとは思う。


古い教会の多い町でもある。このくらい立派な教会が普通にゴロゴロある

ハーバードの中心部はさすがに観光地らしい雰囲気だが、それ以外のところ、特にうちの周りでは明らかな観光客を見かけることは少ない。落ち着いた街だ。実は、全体的に東京の西荻窪に似ている雰囲気も感じるのだが、それはそれでまた別に書いてみたい。

最後に気候。当然ながら気候は日本とは違う。ニューイングランド気候、とでもいうのか、体感してみて分かる独特さがある。気温の暑い寒いは気にしても仕方ないと思うのだが、1日の中で急速に変化する感じが独特で興味深い。午前が雨でも午後晴れる、晴れていてもすぐに雨になる。また2日くらい先の天気予報があっさり変わる。「風土」という単語を久しぶりに思い出した。

ということで、旅行先としても魅力的な場所だと思いますので、興味のある方はこの機会にお越しください。


2016年4月25日月曜日

ケンブリッジ市のリトルリーグ(少年野球)への参戦 -1-




一部の方にはお待たせ!?いたしました。少年野球の話です。野球関係の方のために少し細かめに時系列で書いていきます。興味のない方はほどほどに読み飛ばしてください。

我が家は夫婦ともに文科系人間で、球技にセンスがあるとは全く思っていない。しかし、気がつくとなぜか長男(渡米時点で小2の終わり)は野球が大好きになっていた。好きを通り越して、いわゆる「野球バカ」に近い風情だ。「野球部に入りたい」と言い出したのは小学1年生の終わりで、地元小学校の軟式野球部に入部した。これは僕の生活にとっても予想外に大きな事だった。幸いにも良いチームに入る事が出来て、これまで知らなかった世界が広がった。

アメリカ行きが決まった時から「アメリカでも野球をしたい」という子供のためにアメリカの少年野球事情を調べはじめた。本で面白かったのは小国綾子さんのこれ(リンク先)だ。この本は人事労務管理のフィールドを本業とする僕としても日米の組織行動の違いの根底にある文化を考える上で興味深い本だった。しかし、この本はあくまで小国さんの経験した時代と都市での話であり、どこまで自分たちの事情に当てはまるのかは分からないい。

さて、日本からWEBでケンブリッジ市の少年野球事情を調べようとしたのだけれど、そもそも土地勘も無く野球リーグ事情も分からないので、限界は否めなかった。WEBで検索したケンブリッジ市の少年野球リーグに電子メールで問い合わせをしたのだが、返信があったり無かったり。そのやりとりの中で「お前の住所だったら、ノースケンブリッジのリーグだよ」という返信をもらった事があり、所属候補のリーグは分かった。しかし、このリーグに電子メールを出しても返信がほとんど来ない。「写真を見る限り白人が多そうだし、日本からの転入者など歓迎されていないのだろうか」などというマイナスの想定も頭をよぎる。渡米前はここまでしか調査が進まなかったのが現実だった。

こちらに来てからしたことの第一はグランド(こちらの言葉ではフィールドというべきだろう)の確認だ。住居から徒歩5分の所にアメリカ国旗たなびく素晴らしい天然芝の草野球場があった。それも二面ある上に、よく見ると少年野球専用のサイズである。

少年野球専用の素晴らしいフィールド。


しばらく、毎日この球場に通って偵察してみた。時期は4月の頭だったのだけれど、誰も練習をしている様子がない。僕らは日本で「グランドは神聖な地」と叩き込まれている。勝手にグラウンドに入って練習してはいけないのではないかと遠慮して、横の空き地でキャッチボールをさせていただいた。それにしても、今の東京だと公園ですらキャチボールは禁止なことを考えると、なんと贅沢な土地の使い方だろうか。(日本の中でも東京が異常だ、とも言えるのだろうけど。)

第二に、電子メールを送っても返信のなかったリーグの事務局長へ土曜日を狙って電話をすることにした。そもそも、個人の電話番号がWEBに堂々と番号が公開されているのが新鮮だ。日本では「個人情報だ」とかなんとか、神経質に気にする人が多いのに。

さて、事務局長は電話をしても出なかった。困ったなぁと思ったら、知らないはずのこちらの不在着信電話番号へわざわざ折り返しコールをくれた。事務局長(ケリーという女性)は「ああ、メールもらってたかもね。4月のX日にトライアウトがあるからその時に朝9時にグランドに来てね」と明るく言ってくれた。これは一つ安心材料となった。一連の流れから、この地域は意外に素朴なところなのかもしれない、と感じた。メールに返信をくれないのはなぜだろうかと感じないではないが、こちらのコミュニケーションではこれが普通らしいという話も聞く。日本人が特に律儀なのだろうか。まあ、このあたりは鷹揚に構えようと思う。

第三に、道具を揃えた。これまで軟式野球しかやったことがなかったので、近所のショッピングモールで少年リーグ用の硬式ボールと子供用のグローブ、バットを買う。お店はチェーンの量販店で比較的安価に色々揃っていた。意外なのか自然なのかわからないが、若い店員さんが「俺もノースケンブリッジのリーグで野球やってたことあるよ」と言う。色々聞き出したいところだが、こういうカジュアルな日常英会話に不自由な自分の英語力が痛い。バットは木製かなと思っていたのだが、彼が「金属バットOKだよ」と言うので金属バットを購入した。

上がメジャー公式球。下がリトルリーグ用公式球。ほぼ同じ。


果たして息子は参戦できるのか(させてやることができるのか)、やや不安ながらも準備を進めた4月の上旬だった。

(このシリーズは不定期連載として続く予定)

2016年4月22日金曜日

「笑う食卓」のお陰でクルーゼで炊飯、おにぎりで活力



小さい子供を含めて初めて家族で海外で暮らすとなると、健康、すなわち、食は大事なのは言うまでもない。「主夫」としてこの維持防衛は大きな課題だ。

僕は「料理が得意」と胸を張れるほどではないが、好きで苦にならないので、日本でもそれなりにやっていた。料理だけでなく、食品スーパーに行くのも好きで、多分中年男性としては相当な高頻度で食品スーパーに通っている部類の人間だ。男性同年齢帯食品スーパー滞在頻度偏差値70は超えているだろう。今回、旅行でなくて生活するということで、食品スーパーに通える事が嬉しい。

料理を覚えたのは社会人3年目くらいからで、理由は特に覚えていない。おそらく、池波正太郎や村上春樹などの僕な好きな作家が食を大事にしていて、作家自らも料理ができる、ということに影響されたものと思われる。我ながら、割と単純に「憧れの人」を真似するタイプの人間だ。

ということで、渡米にあたって料理道具を自ら幾つか選んで持参したのだが、スーツケースの中には8年来愛用しているクルーゼのオーバルを入れてきた。これのお陰で、到着した初日の晩から米を炊くことができた。

クルーゼのオーバル(煮込み料理をして、一旦冷ましているの図)

と、さらりと書いたが、「土鍋」「クルーゼ」など鍋で米を炊く方法、は覚えて本当に良かったと思っている料理技術だ。特に男性がこの炊飯術をマスターすると「株」が上がると思う。

少し説明すると「研いだ後に、水加減して浸水する(30分くらい)」「蓋をして強火で沸騰させる」「中火から弱火にして湯気が煙に変わるのを待って火を消す(この間、蓋を開けてはいけない)」「5〜10分くらい蒸らす」と、これだけである。慣れると「お焦げ」の程度を自在に調節できる。

この炊飯の方法は、立石敏男『笑う食卓』というエッセイ集で覚えた。この本は理系男子的な発想で、料理全般が説明されている。そういえば著者の立石氏も奥様がやり手の編集長という主夫エッセイストだった。この本、今でも(買取に出さずに)書棚に保存しているくらいに良いエッセイ集だと思っているのだけれど、今、アマゾン見たらレビューが1件しか付いていない。過少評価されている気がする。

アメリカの米は値段は日本と同じくらいのような印象だ。一袋が、6.8kgなので、5kgでの値段に慣れていると少し混乱する。このアメリカサイズの一袋で20ドル前後。日本的な感じの食感の品種もあるし、贅沢を言わなければ美味しい。値段高めから低めまで何種類か買ってトライしているところだ。いずれもカリフォルニア産。高めのお米(「雪のかけら ミルキークイーン」)は日本のものに近い気がする。安めの米は少しパサつくので若干水分多めで炊飯することでいい感じになるように調整できてきた。


日本食材で頼りにしている店(@Cambridge Central)韓国資本経営のようですが。



1年くらい前に見たTVドキュメンタリーで、アメリカN.Y.のブロードウェイに挑戦している俳優の渡辺謙が毎朝、米を炊いておにぎりを作って稽古場に持って行って頑張っていたのを見た。これが、とても印象に残った。小麦とトウモロコシとジャガイモの国に居ても、日本人の活力源はおにぎりだ。我が家もおにぎり中心として健康を意識していこう、と、子供の学校の弁当のため、自分の昼食のため、毎朝おにぎりを握っている。


追記:「寒いらしいし、冬は日本風の鍋でもしようか」と思って、愛用の土鍋も船便に入れたのだけど、キッチンが電熱型だったので使えるか使えないのかやや焦った。調べると、「使える」との情報があったて安心したけど、まだ試してはいない。

2016年4月20日水曜日

[Photo]120th Boston Marathon


ケンブリッジから川を渡ってボストンマラソンを見学。

地下鉄の広告もマラソン一色

樹木はまだ春とは言えず。ただしこの日はレースには暑くてランナーは大変だったでしょう。
ボストン市内
テロ対策でセキュリティチェックは厳重

Finish Lineから300mくらいのところ。「後少し(You are almost there)」



屋上からも見学者


残念ながら、レジェンド、君原健二選手(50年前優勝で招待、75歳)を直接応援することは出来ず、帰宅後に家で記録をウォッチした。君原のゼッケン番号は50年前の年号「1966」。アメリカ人も粋なことをするものだ

2016年4月18日月曜日

小学校の第一印象は「自由」「人権」



子供二人は同じケンブリッジ市の小学校(それぞれの学年毎の外国人向けクラス)に入った。初日は曇り空の中、電車と徒歩で登校した。教育委員会で「朝8時10分に門に校長が居るから」と言われていたが、本当に校長先生が門のところで全員の登校を迎えるために挨拶をしていた。この光景は日本でも見た。校長というポスト(役職)はいずれの国でも大変なようで、頭が下がる。

学校の中庭。校舎はごく普通。少なくとも表面的なセキュリティ管理は杉並よりも緩いのは意外。


最初は事務所で書類に色々サインをした。終わると、初日にもかかわらず「子供は置いていっていいですよ。1415分に迎えに来てください」という。大胆といえば大胆。子供達は若干怯えながらもそれぞのクラスに入っていき、迎えに行ったらケロリとしていた。クラスメイトがフレンドリーに迎えてくれたようでありがたい。

親としては今後なるべく小学校に足を運んで、子供のサポートをしたい。加えて、学校という場には、ビジネス人としても「組織行動論」的に非常に興味がある。(「その国の会社は、その国の小学校に似ている」というのが僕の昔からの仮説。)

さて、既に何度か学校に行っているのだけれど、「自由」「人権」というものについての教育がかなり重視されていることがすぐに分かる。正門付近の卒業制作「Standing Up」は何年生が作っているのか分からないが、子供達の自由・人権についてのメッセージが満載だ。ただし、注意深く見ると「平和」も多いのだけど、「平等」に触れたものが少ない気はする。

これらのあたり、ケンブリッジ市というところがアメリカの普通なのかどうかはわからない。そもそも、アメリカに「普通」という概念を求めるのがおかしいのかもしれないが。


一つ一つじっくり読んでしまった。反ファシズム・反差別・平和なども多い。

ある日、12年生の音楽会を見学した。合唱はまあ普通(日本に比べれば生徒たちのそぶりは気まま)にやっていた。小学校1年生は「キラキラ星」的な童謡から始まったのだが、途中から「実は選曲がすごくないか?」と気がついた。1年生の最後の曲は黒人奴隷のプロテストソングだという「Pay me my money down」。あどけない1年生が意味が分かっているとは思えないが、歌ってる。「(雇用主に)おい俺の賃金払え、さもなきゃムショに行け」とたどたどしくも歌っていたのには、現地人の親御さんも笑っていた気がする。2年生の曲も中国民謡「Moo lee hua(ジャスミンの花)」やら「Goin’ Down To Cairoこれも黒人奴隷にゆかりの歌らしい)」やらで、選曲者である大人の明確な意思を感じる。

曲のリスト





「人権」について小学校からこんな風に扱っているのか、と、新鮮な驚きの音楽会だった。繰り返しだが、これがアメリカ全体でどうなのかはわからないけれど。

学校についてもまた経験を書いていきます。





2016年4月14日木曜日

日本も登場していたThe Boston Globeのトランプ候補パロディ号



先の日曜日、当地の新聞、The Boston Globeの日曜版がボストン地域を超えてネットでちょっとした話題になっていた。それは、「もしトランプが大統領になったら・・・の新聞一面」をフェイクとして実際に作り、トランプ候補の批判を行ったからだ。このあたりの詳しい紹介はこの先のリンクなどを参照してください。

我が家では宅配購読を頼んではいないので、散歩の帰りに新聞を買って実際に読んでみた。日曜版はどっさり分厚く3.5ドル(400円くらいですか、高いですね。売店でのバラ売りだからかとも思いますが)。すると、この「フェイクの一面」の中で、おそらく日本までは情報が届いていない部分に目がとまった。

移民問題、ISIS、貿易、中国、などにトピックが割かれていて、紹介報道で取り上げられていたのはその辺りだけど、日本も紙面下の方の小さめのベタ記事の一つとして取り上げられていた。それが以下の記事(画像に赤丸したところ)。




Japanese Emperor Akihito formally censured Ambassador Kid Rock for a speech calling on US allies to " Let the [expletive] business guy run the [expletive] country like a [expletive] business"

抄訳:日本の明仁天皇がキッド・ロック駐日大使の同盟国に対する暴言(放送禁止用語連発)に対し、公式に非難した。

ボストン・グローブはインテリが読む、とされるリベラル高級紙だそうだが、日本の一番偉い人=天皇明仁、くらいの認識なのだろうか、それに「天皇は政治的発言をしない」ということを編集者は分かっていないのか、と、一読した当初は、ちょっと憤るような感想を持った。その後、少し冷静に考えてみると、書き手はその事は分かっていて、あえて(遂にそういう位置付けの陛下までがおキレになった、という意味での)相当な強烈なパロディを狙っているのかも知れない。僕にはどちらかは分からない。いずれにしてもこの事案、ちょっと面白い情報だとは思うけれども、日本のマスコミは報道していないように見える。話題が話題だけに敢えてスルーしたか、それとも気がついていないのか、どちらだろうか。せっかくだから?報道しておけば良いと思うのだけど。

そういえば最近、日本では食品メーカーが「おバカさんをやらかした芸能人」をちょっと揶揄?するCMを流しただけで企業が謝罪に追い込まれる事態があったとのことだけど、パロディというものに対する覚悟が大分違うな、とは思う。

ちなみに、このパロディ記事の裏面では「共和党はトランプを止めよ(GOP MUST STOP TRUMP)」として硬派な論陣が展開されている。この英文がまた妙に格調高くて、読んでも分からないところが多く(僕も結構英語勉強してるんだけど、まだダメだなぁと)気持ちが萎えてしまうのだが、最後の一文は"It is better to lose with principle than to accept a dangerous deal from demagogue."「(共和党は)煽動者との危険な取引をするくらいなら、原理原則を守って敗れた方がマシだ」と結ばれているのはわかった。

お説教としては勇ましい。けれど、こういう説が「きれいごと」だとある意味では"バレて"しまって、世の中広くに通用しなくなっているのは最近、洋の東西を問わず共通の現象かもしれない。そもそもトランプ支持層の多くは新聞を読んでないから、もはやこうしたジャーナリズムそのものに意味がない、という識者も多い。ちなみに、FacebookThe Boston Globeの本件についての投稿のコメント欄を見てみると、トランプ支持者も殺到していて「この一面が実現して構わないんだよ!」「こういう下らんことしてるから新聞は滅びるんじゃ」などとコメントしていた。アメリカ(そして世界の)前途はどうなるのでしょう。


滞在の年が大統領選挙に重なる。これからどうなるのか興味をもって見ていきたい。

インテリの多い?ケンブリッジ市内の散歩ではリベラル色の強いバーニー・サンダース候補支持のサインを多く見ます。というかそれ以外はほとんど見かけません。(目撃数と有権者の支持数とはダイレクトに比例はしないとは思いますが)

2016年4月12日火曜日

子供の学校決定、リンジ&ラテンとグッド・ウィル・ハンティング



我が家には8歳と5歳の子供がいるので、アメリカに来た当初の課題の一つは、子供の学校決めだった。日本に居た際にケンブリッジ市の教育委員会に連絡したところ「アポは要らないから、こちらに着いたら事務所へ来い」とのこと。そこで渡米の数日後に事務所を訪ねたのだが、それはハーバード大学の隣にある高校の一角にあるという。(補足説明。このあたり、主に妻がディールを進めております。)

このため、この事務所を訪問する途中で「なんとなく」「通りすがりで」という感じで人生で初めてハーバード大学のキャンパスを通ることになった。なんともすごいエリアに引っ越してきてしまったものだ。ハーバードについてはまた別に書きます。

教育委員会の事務所があるリンジ&ラテンスクール


さて、なぜ高校の建物の中に市の公立小学校関係の事務所があるのか(途中、道に迷って、警備員さんに道を尋ねる始末)と思ったら、この高校は市立高校らしい。東京で言うなら「文京区の教育委員会が東大の隣にある公立高校に間借りしている」イメージなのだろう。

結局、この事務所を二回訪ねて、子供の語学テストをして、受け入れてくれる小学校が決まった。学校は家から比較的近い所だったので一安心。市の普通の小学校で、そこの外国人向け学級に受け入れてもらうことになる。アメリカがそういう国である上に、国際的な研究機関が多いケンブリッジ市の特性でもあるのだろうけど、外国人生徒の受け入れにはとても慣れている感じがある。手続きを進めてくれる側には「特別な事をしている」感は無い。ちなみに語学テストをしてくれた人のTitleDr.だった。言語教育学あたりだろうか。専門家が専門家としての仕事をしているのだろう。

事務所内のパンフレットには多言語の案内があり、具体的にはスペイン語、中国語、韓国語、ハイチクレオール語などがある中で、日本語の案内は無し。ここでの日本の存在感はそんな所かもしれない。これに関係して僕ら親と担当者の面談の際に「通訳要りますか?」と聞かれた。僕らは「要らない」として話を進めてしまったのだけれど、「要る」と言ったらどういう展開になったのだろうか。その事務所に日本語通訳が常駐しているとも思えなかったので、後で少し不思議に思った。電話を使うのだろうか。

ところで、この事務所が入居しているリンジ&ラテンという高校が立派な建物かつクールな名前だということに感心したので初回訪問の後にWebで調べて見た。するとなんと、この高校にはハリウッドの大御所スターで僕も大好きなベン・アフレックとマット・デイモンの幼なじみ二人が揃って通学していたとのこと。なるほど、彼らが脚本(!)と主演をした大出世作「Good Will Hunting(1997)」はここから産まれたのか!と映画好き人間としては妙に興奮してしまった。確かにこの高校は、この映画に出てくる主要舞台のほぼ中心にある。

ケンブリッジでは通称CRLSで通っている。僕らの住居の近くに校舎とは別の立派なアメフトグランドがある。

邦題だと「グッド・ウィル・ハンティング 〜旅立ち〜」というタイトルのこの映画、僕は社会人になった頃にレンタルビデオで見たのだけれど、「なんかマット・デイモンが天才なんだよな」というくらいの印象で、内容はほとんど忘れていた。ボストンが舞台として有名な作品と有名だったので、渡米前に予習として再見したのだが、「二人とも、若っ!」という感想はさておき、内容がボストン云々関係なく、仕事に疲れた中年男性の心にも沁みる素晴らしい作品だった。若い頃に見た作品を40歳くらいで再見すると違った解釈で味わうことができる。これは人生の楽しみの一つだと思う。

それはともかく「グッド・ウィル・ハンティング」はBoston、Cambridgeなどの地域、あるいはカウンセリング、心理学方面に関心ある人におすすめです。いや、関心にかかわらず普通に名作だと思う。助演のロビン・ウィリアムス(少し前に亡くなってしまった…)の演技が素晴らしいのは皆が言うところだけれど、「ダメな友達」役の若きベン・アフレックが見るからにダメそうで、でも、最後にちょっと粋な良いところ見せる、という場面が個人的にはとてもツボだった。

2016年4月10日日曜日

クラウドソーシングでウガンダから来たアンドリューを雇う



こちらでの住居となるアパートメントには、冷蔵庫やレンジはあったけれど、家具は何もない。ダンボールをテーブルにして食事をする数日が続いた。


4人用のダイニングテーブルを知人づてに確保(個人間取引)できていたのは良かったのだが、こちらの家まで運んでくるにはトラックを自前で用意する必要があるとのこと。そもそもうちには車が無いし、どうしたものか少し困っていた。妻の知り合いの米国人の先生から「手伝うよ」という申し出を頂いたのだが、それも申し訳なく思案していたところ、この先生がタスクラビット(TaskRabbit)というWebサービスを紹介してくれた。少しサイトを見ただけで、これはいわゆる「クラウドソーシング」の仕組みだな、とすぐに理解できた。なかば「一か八か」の気持ちで登録して検索してみたところ、Andrewという個人が翌日に作業を引き受けてくれることが1時間以内に決定。時給は70ドル前後と明記されていた。何割くらいが彼の手元にわたるのだろうか、とすぐに考えてしまうのは僕の職業病だろう。

Andrew氏とのコミュニケーションはEメールで円滑に進み、当日予定通りの時間にトヨタのピックアップトラックで家まで迎えに来てくれた。助手席に乗り込ませてもらい、道すがら話をしたところによると、彼は本業は大工で、土日など空いた時間にこのタスクラビットで仕事をしている、大家族に呼び寄せてもらってウガンダから5年前に来た、二週間前に子供が生まれて夜泣きが酷い、とのこと。仕事中、寒い、寒い、と言っていたが、アフリカから来たならそうだろう。でもこれからこの国でチャンスをめざして頑張ろうとする勢いみたいなものを感じた。言うまでもなくこういう人々がアメリカの活力の源の一つだろう。僕からは「知り合いがウガンダで日本食レストランやってるよ」と伝えておいた。彼はウガンダにはチャンスがたくさんある、と頷いていた。気持ち良く作業してくれて1時間でタスクは無事終了。精算はアプリ経由でタスク終了後に行われた。4日前に当地に来た日本人がスポットでこのようなサービスを利用できて決済の心配もないのだから、ITは世の中を確実に便利にしている。

ピックアップの荷台を紐で縛る術は確かだった。


彼とのコミュニケーションで一つ印象に残ったのは、彼からのメールに"Thank you for hiring me !"とあったこと。僕は彼をhire(雇う)したのではなく、単発でちょっと仕事を頼んだ(業務委託)という感覚だった。しかも間にタスクラビットを挟んでいたので、hireという単語を見た時には、ちょっとハッとするところがあった。日本で人事関連の仕事をしていると「雇う」という言葉を結構重く考えてしまう。もしかすると、こちらの感覚ではたとえ1時間の仕事でもhireという感覚があり、その感覚は1年や数年といった会社の雇用と途切れなくリニアに続いているのかもしれない。考えすぎかもしれないが、そんなことを思った。



2016年4月9日土曜日

はじめに-2- 立場



今回、僕が本業を休職をして妻の仕事であるこちらについてきた件については、自分の中では割と自然な選択だったのだけど、自分の年齢やら諸々の事を考えると世間的には「普通なことでは無い」と言われるし、それはその通りだと思う。「羨ましい・・・」「素晴らしい決断だ」「女性活躍推進の星」「気楽といえば気楽よね」「お前の仕事上の立場(責任)を考えろ」等々色々な感想をもらった。

近所の公園。アメフト・野球・バスケは想定内だったけど、女子サッカー、女子ソフトボールが盛んだなという印象。こんな国相手に善戦する日本女子は偉い。

一つ言えるのは、こういう立場を具体的にめざして計画して生きてきたわけでは無いけれど結果こうなった、ということだ。人事コンサルタントとしては、クランボルツ博士のキャリアに関する議論は正しい気がする。

今回の件について、ある方が「それは巡りあわせなんだ」と言ってくださって、それは何か腑に落ちた。確かに、家族や仕事など何かの状況が少しでも違えば、こういう選択は成り立たなかった。勝手に気負い過ぎてもいけないけれど、こういう巡りあわせがあったのだからそれを良い方向に活かすことが今後の僕のテーマになるのだろう。


駅で演奏するアーチスト。多分許可制です。


それからもう一つ、自分がいわゆる主夫なのか?ということについて少し整理しておきたい。これはとても微妙なところだ。確かにこちらに来て、食事を中心とした家事関係をかなり引き受けている。ただし、日本で働いていたときからそれらの事は普通にやっていたため、立場がガラっと変わった、という感覚はない。家事だけでなく自分の仕事に関係することでこちらで取り組む予定もある。加えて、「期間限定」「会社休職中」なので、自分を「主夫」としてアピールするのは正直、はばかられるところだ。結局、なんとも微妙な立場だというほかない。

とはいえ、こういう収入の無い立場になってみて初めて感じる「今の自己アイデンティティをどう置くべきか」という事についての色々な気づきはある。「専業主婦」「駐妻」(あまり適切な単語でなければごめんなさい)という立場のこともなんとなく身をもって感じている。ただ、このあたりのアイデンティティ問題はまだ語るには早すぎる。とにかく、ここでの自分は一風変わった立場の滞在であることだけは確かで、(繰り返しになるが)それをそれとして活かすしかない。

なお、平日の昼間にスーパーで買い物していても、小学校に出入りしていても、特に不審がられず何も事情などの質問を受けない。そのあたりは「さすがアメリカ」、と良い意味で思う。

さて、前置きとしての「自分語り」は今回までの2回としたい。今後のエントリでは、こちらの大学の話、料理と食材の話、子供の学校教育と課外活動(少年野球チームなど)、英語力の問題、映画やジョギングの話などを僕なりの視点で書いていく予定です。

はじめに-1- Cambidge



今回の米国滞在はあくまで妻の仕事によるものだ。だから、原則として色々な意思決定では自分の主張は控え目にしよう、と思っていた。(今もそう思っている)

しかし、渡米の半年くらい前、休日の朝に妻が居住地の候補として「アーリントンか、ケンブリッジか…」と話しかけてきた時には間髪入れず「それはケンブリッジで!」と答えてしまった。敬愛する作家・村上春樹がかつてケンブリッジに住んでいたことを知っていたからだ。その時の経験は一つのエッセイ集(『うずまき猫の見つけ方』)とまとめられている。


住居の近所。町の中に立派な野球フィールドが幾つかあり、どこも国旗がたなびいている。ベースボールに国を統合するための側面があったと実感する。

村上春樹は40歳代の前半をアメリカで過ごしているが、自分も似た経験ができることになった。ケンブリッジに滞在するこれからの1年間を、村上春樹のエッセイを多少意識して記録してみたい。このため一人称は「僕」を使用していく。

ちなみに、ケンブリッジ市は、ボストン市の北西に位置しており、大学の街として知られる。アメリカの平均から言えば立派な都会なのだろうけれど、東京のJR中央線沿線という恐ろしく人口密度の高いエリアから来た僕には、随分のどかで素朴な街に感じる。



2016年は4月の頭だというのに雪


なお、来てみてわかったのだけれど、村上春樹が住んでいた所と僕らの住居はエリア特性的に若干違っていた。村上春樹が住んでいたのはケンブリッジ市のまさに真ん中。対してこちらの住居は、ケンブリッジ市の北西の端の方にある。とはいえ、それほど大きくない同じ市内なのだから
それくらいの事は気にしない。渡米してから「うずまき猫」を読み返していたら、村上春樹は大胆にも?上述のエッセイの中で当時住んでいたストリートを明かしている。ハーバードとMITの間にあるようだ。
近々訪ねてみたい。