2016年8月30日火曜日

アメリカ人、ちょっとズレてないか?と思う瞬間



基本的には、アメリカに感謝し、その偉大さを感じている僕だが、ときどき「この国の人、微妙にズレてないか?」と思うことがある。今回は、これをテーマに最近、生活の中で出会った二件のコマーシャルを紹介したい。


一つは、テレビ番組の間に見たCM。カフェのオーナーらしき人物が閉店後の店内を片付けている。モップをかけたり椅子を机の上にあげたりしながら腰が痛い様子。家に帰ってベッドに入るが、腰痛で寝付けない。すると、睡眠導入剤の紹介があり、これを飲んだ主人公は痛みを忘れて安眠して、翌朝また朝日の眩しいカフェで頑張って働いていた。めでたし、めでたし、で終わり。見ていて「え!」と思わず呟いてしまった。全く問題解決になっていないじゃん、という、「え!」だ。腰痛という根本原因を解消していなくても、眠れたからOKというアッケラカンとしたところが、妙にツボに入って笑ってしまった。(日本だと、「腰痛は適切な医者へ行きましょう」とか入るはず。いや、こちらのCMでも実際には小さな字でディスクレイマーが出ていたのかもしれないが。全体的な印象はあくまで記載の通りだった)

単位 per bunch




もう一つは、近所の薬局兼コンビニ(「CVS」というチェーン店でボストンには沢山ある)に行った時の店内放送CM。女性のナレーション(録音)が明るい声で流れてくる「みなさん、お子さんがドラッグをやってないか心配じゃないですか?私は心配です。検査薬を使ってはっきりさせましょう。簡単に分かります。当店の⚪️番コーナーに検査薬がございます」

これは、笑えない部類の話題なのかもしれないが、それでもなんだか「そういう問題か?」「妊娠検査薬じゃないんだぞ」「このへんは治安良さそうだけどやっぱりアメリカなんだな」と思ってやはり笑ってしまった。



2016年8月27日土曜日

Baseball 第2章:Summer League で市内を転戦




(またか、と思われるのを覚悟で)再び、野球の話。

地域の小チーム、ドジャースのシーズンが終わる頃、E-メールで知らせがあった。夏の1ヶ月強、サマーリーグという市内リーグが開催されるという。志願者(トライアウトなし)のみで"10 and under(すなわち10歳以下)"のチームを作り、市内の3チームでリーグ戦をするらしい。

その日の打順をこんな風に書き出す



参加してみると、それまでのチームとは若干おもむきが違っていた。各チームから志願者が集まってきているので、本人も家族も「野球好き」度が高い。前のチームでは「集合時間などを守らない」「試合に集中していない」「道具を大事にしない」「グダグダな子供を親が見ていても放置」の傾向がある、と書いたけれども、このチームもその傾向は確かにあるが、少し「まし」になっていて、全体的にちょっとピリっとしている。それでもあらゆる面で、日本の普通の少年チームの規律水準ではない。

監督は、親御さんのうちの一人で、30代くらいの若手の人だったけど、いかにもこちらの大学の体育会運動部出身のような印象の方で、練習前に準備体操をさせたり、教育的な訓示をしたりと良い人だった。一度、うちの長男がピッチャーに登板してメッタ打ちにあった日(そんな日もある)の翌日には、平日の日中にフォローのEメールをくれたりした。

地区ごとにホームフィールドがある。ここは何気にMITの隣

このリーグは市内をホームアウェー方式で転戦するので、普段とは違う遠方のフィールドに行くことも多かった。(車の無い我が家もUBERを使えば問題無し)小さな市にも関わらず野球場はどこも立派である。しかし、実は、滞在4か月にしてもうこれに慣れてありがたみを感じなくなってきている。人間の慣れとは恐ろしいものでもある。

一つ嬉しかったことがある。日本から何も分からずに探索的にメールをしていた時に最初にメールしたチームのコーチ(このチームは結局市内の別地域だったのだ)が、試合の時に声を掛けてくれたことだ。「今年の3月に、日本からメールくれたの君だろ。北地区に日本人が入ったと聞いて、君らのことだと思ってたんだよ〜。今日対戦できて良かったよ」と言ってくれた。野球と子供が繋いでくれたご縁である。

リーグは先日最後の試合を迎え、最終戦で強敵相手にサヨナラ負けを喫した。延長の裏、ツーアウト満塁、監督が指示して前進を守備させた内野の上を相手打者の打ち上げた打球が思い切り抜けていった…。こういうシーンは、スポーツをしていれば必ず経験する。これを通じて子供が成長していくのを見守る大人の心情は、スポーツや国を問わず同じだな、とアメリカの親御さんたちと一緒に応援しながら体感した。

この後、変顔Ver.を撮影した。掛け声は「Goofy one!」



いよいよ、これで野球も終わりか…でもサマーリーグにも参加できて良かった、と思っていたら後日また新展開が始まった。またそのうち書きます。

2016年8月24日水曜日

IVYリーグに低所得家庭から入るとはどういうことか?(The Boston Globeより)



生活してみた実感としてここケンブリッジ市は豊かであり、そこにあるハーバードもMITも見るからに立派だ。そして生活しているだけだと、なかなかここ近辺以外の場所に行く機会が少ない。しかしながら「ここがアメリカの標準ではない」ということを忘れないように、と常に意識している。

そんな中、The Boston Globeに「IVYリーグ大学に低所得家庭から入るとはどういうことか?(リンク先に記事あり)」というとても長い記事があったので英語の勉強がてら読んでみた。社会経済や教育に関心のある人には何がしかの参考になる部分もあるかもしれない…と思い、以下に大まかで気ままな要約を作った。

(なお、写真は内容とは無関係で、最近撮影したものから。被写体の良さに恵まれてはいるが、写真がもっと上手くなりたい)

-----ここから要約------
  • IVYリーグの大学(記事内の実例だと、ハーバード、エール、ブラウンなど)にも、奨学金により低所得家庭から進学してくる学生がいる。
  • これには起源がある。2000年代に、トップ大学がダイバーシティ目的で、一定の所得以下で条件を満たせば「家庭負担一切ゼロ」という奨学金制度を相次いで導入した。これにより、従来ほぼ金持ちの子弟だけだった名門大学に(極端な)低所得家庭からの学生が入るようになった。
  • これら制度は「ドアを開いた」という意味では良い。しかし、当事者の「第一世代」は入学後様々な苦難に直面している。


  • 記事内で紹介されている学生の家庭環境としては、親がバスの運転手、ピザのデリバリー、溶接工、トレーラーハウスで暮らしていた、などで、家庭での日々の話題は金策など。移民第2世代くらいが多い。ある例では、友達の大半が高卒で地元の魚類加工工場に就職する環境の中、ボランティアのディベートクラブのコーチが「お前は頑張って名門大学へ行ってチャンスをつかめ」と後押ししたそうだ。(要約者注:リアルに「グッド・ウィル・ハンティング」な世界)
  • こうした学生は地元の高校で総代だった、というような学問的には優秀な人々で、家族内では初めて大学に行くというような立場。
  • 彼/彼女らは、自分たちが育った環境や社会的文脈と大学の生活環境があまりにも違うのでショックを受け、大学で孤立しがちである。
  • 対して同級生は、すでにビジネスやNPOを立ち上げていたりするリア充(ただし、親のリソース使用)だったりして、劣等感に襲われる。
  • 大学内で同級生に自分のバックグラウンドを話すと、びっくりされたり、気まずそうに避けられたりすることが多い。
  • 自分は白人だったから少し友人に溶け込むのに有利かな、という学生の例。黒人の場合、黒人の同級生がいたので無意識に自分と同じ境遇だと思って話しかけたらその子の親は弁護士と医者だったとかで余計に落ち込んだ例。
  • フルの奨学金で名門ブラウン大学に来たある学生の例では、カウンセリングを受けたくても15$の自己負担が苦しく受けられない。そして周りの人々は15$が払えないという苦しさがそもそも想定の範囲外であった。



  • 大学やNPOも問題を認知し「ブリッジング(橋渡し)プログラム」を作ろうとしているが、逆に低所得学生を目立たせることになる部分もあり難しさを感じている。(ハーバードのこの担当オフィサーはご自身もニューヨークの低所得家庭の出身だそうな)
  • 実は、豊かに育った人の方が、教授などに堂々と助けを求めやすい。貧困学生は、普通に相談すべきこと、できることを抱え込んでしまう傾向にある。ステータスの高い人と話すことが苦手なのだ。そして、職業としても渉外弁護士やらのプロフェッショナル職と生育過程で会ったことがない(ことが職業選択の幅を狭める)。
  • 社会経済的成功には、学問的な素養だけでなく「Social Capital」が重要なのだが、貧困学生はそれが大事という認識を育む機会をこれまでに持てていない。
  • こうした学生や家族は、教授よりもむしろ食堂のおばちゃんの方が話しやすい。ある印象的な例:実家から家族が一族の誉れである娘の大学を訪問して、食堂のおばちゃんに「この娘の面倒を見てやってくれ」と握手して、教授に挨拶せずに帰った。
  • 当然ながら、当事者の学生たちは、アイデンティティクライシスすなわち「地元の自分」と「エリート大学生の自分」の分裂・統合不能に陥ることが多い。
  • さらに困ったことに、大学で教育を受けるうちに、家族や元のコミュニティから「あいつは変わった」と言われ孤立するようになることも多い。
  • しかし、こうした学生たちは自ら団体を立ち上げ、カミングアウトし、主張する行動を始めている。
-----ここまで要約------
出所:What is it like to be poor at an Ivy League school? High-achieving, low-income students, often the first in their families to attend college, struggle to feel they belong on elite campuses.

 

上記は、私見抜きで記事にあったことのみでまとめた。なお、実際の記事は6名くらいの固有名詞の実例で作られていたが、順序も含め入れ替えている。それにしてもディテールが豊富な長い記事だった。WEB記事にコメントが現時点で180件強ついている。これはこれでどんな意見がついているのか興味深いがまだ目を通せていない。

少しだけ感想を書くとすれば、アメリカ固有の事情の部分もあれば、普遍的な部分もあるように思う。ちなみに、この記事によるとハーバードだと今、世帯年収650万がこの記事で話題にしている免除対象の水準。日本人としてこの水準をどう受け止めるか。

ちなみに、ちょうど同じタイミングで以下の記事も読んでいて、うっすらと関連性を感じた。

文化の違いは国家間よりも国内の方が大きい

2016年8月22日月曜日

タングルウッド音楽祭で感じたこと




大してボストン観光が進まない中、季節を逃すと行けなくなってしまうものは行かないと…ということで、夏の間だけ開催されるタングルウッド音楽祭へ。



僕はそれほどクラッシクには詳しくはないが、タングルウッドといえば、小澤征爾周りの記事でよく名前を耳にしていた場所。最近では、村上春樹と小澤征爾の対談本でも舞台になっていた。

ボストンから、日本人会のツアーのバスで3時間ほどインターステートを走って到着。途中、珍しく渋滞(事故原因)があった。差し入れのアンパンが妙に美味しい。日本にいた頃はアンパンなど3年に1回くらいしか食べないものだが、滞米4ヶ月で何かこういうものが恋しくなっているのかもしれない。

タングルウッド、マサチューセッツの端で避暑地というのかは分からないが「高地感のない軽井沢」みたいな感じ。自然がいっぱいの風光明媚な場所だった。音楽祭に合わせ、遠方からも観客が続々と車で集まってきている。そして、(敢えて書くことながら)ここはとにかくエスニック的に「白い」のが印象的。「白+(小澤効果での)日本人」という感じの構成だった。




サブカル人としては、作曲家ジョン・ウィリアムズ(もはや現人神の領域に入ってますね)、指揮のボストン・ポップスオーケストラで、フィルム・コンサートを見た、というお宝な経験ができた。

日本から来た「ビジネスおじさん」として、一番印象的だったのは、SEIJI OZAWAホールだ。立派なホールにドンと名前があり、その下には企業家大賀典雄の名前も。寄付ボードには、サントリーとフジサンケイの名前を発見した。





こんなアメリカ白人文化の洒落た奥座敷みたいなところに、日本人と日本企業が堂々と痕跡を残しているのは嬉しい(そして、これから先こういうことがあるだろうかと思うと少し寂しい)などと、局外者の自分が思うのは、少しおかしいだろうか。 

2016年8月19日金曜日

日米の少年野球経験から考える「日本人は集団活動では"ちゃんとしてる"」の起源


日本人は(特に集団が絡むと)"ちゃんとしてる"と言われるし、僕もそうだと思う。これは幼少時から細かいことが積み重なってのことだ、と改めてこちらに来て感じた。


ここでの少年野球チーム(小学校低学年)と日本の時のチームを、体験に基づきミクロで比較して書いてみたい。


服装(ユニフォーム):日本では、ユニフォーム、練習着を全員同じように着てくるのは当たり前。ユニフォームは単なる運動着ではなく、集団への帰属を示し、指導者へのリスペクトを表す重要なシンボルである。特に野球では「一糸乱れぬ」感が求められる。対して、当地では、ユニフォームはあるが、非常にゆるい。そもそもキャップとTシャツだけしか決まっていない。下のパンツの方は自由なので、子どもによって白だったり黒だったりする。ベルトをしていたりしていなかったりもある。ユニフォームのTシャツが長すぎるということで勝手に切ってアレンジしている家もある。公式な試合なのに、なぜか違うシャツや帽子で来ている子もいる。これが許容されている背景にはおそらく、経済格差の問題もあるのだろう。細かく一式揃えることを強制することは、低所得家庭の機会を奪うことになる、という認識がありそうだ。(と思うのは、70ドルの登録費が払えない子のためのチャリティをやっているのを見たことから)あと、7歳くらいでもサングラス、ピアスもいるけど、全く自由。我が家は、最初は「ベルトがないけど、していかなくても良いのだろうか・・怒られたり、恥ずかしかったりしないだろうか」と日本的に怯えていたものだが、こちらのゆるいモードに慣れるとこれはこれで気楽で良いという心境に今ではある。




このチームの服装はかなり統制がとれている方

時間運営:日本では、集合時間は厳守が当たり前。遅刻は恥ずべきこと扱いとされる。むしろ少し前に集まって自主的に道具の準備をするのが奨励される。また、私的な旅行などを練習や公式戦を無視して入れるのは憚(はばから)れる雰囲気がある。対照的に、ここでは、集合時間は目安みたいなもので、見ていると大体10〜15分遅れくらいが基本。遅れてきても何も言われないし、特にマイナス感もない。反対に早退したりするのも、同じ感じで許容される。リーグ中でも、旅行に行ったりするのは全く問題なく、むしろ旅行の予定を先に確認される。

野球技術:日本では、キャッチボールから初めて「基本」「型」の指導がしっかりしている。また、(日本での野球史を反映してか)コーチの方々からして技術に一家言ある人が多く、普通の少年団でも技術的な指導の裾野レベルが高い。一方、こちらでは「基本」「型」は教えることもあるが、必要に応じて、気が向いた時に、という感じ。本人を尊重し、「上手い奴は自然と抜けてくるだろう。そういう奴には上のレベルのチャンスがある」という感覚がある。どんくさい奴でも基本を教えてなんとか一定のレベルまで、、という意識は感じられない。(一方で、そういう子にも試合に出て楽しむ権利は与えよう、という意識はすごく強い)


以上あくまで、ミクロで私的な比較ながら、日本人が(全体的に)集団行動に秀でているという特徴は、小学校低学年(あるいはその前)から叩き込まれたものである、ということを例証してみた。大人に目を向けて現業系のビジネスでも大体当てはまる傾向だと思う。

この日本の特徴には副作用(抑圧感や没個性)もあるだろうし、今後も誇るべきものかどうかは分からない。ただし、このくらい根っこから違うもの、ということを出発点として色々考えておいたほうが良いと思う。




追記:当然、学年やステージが上がったり、地域が違ったりすれば、状況は異なると思われることはお断りしておきます。ちなみに、こちらでも比較的高額な習い事だと、時間通り始まる傾向があります。なお、日本というのは23区内某区の普通の地域少年野球が題材です。今回の比較対象は、どちらも「普通に地域の最寄の野球チームに入ったら…」という点で共通しているのでApple to appleとは思います。

2016年8月17日水曜日

夏の風物詩に"Jaws Weekend"という洒落た街



JAWS WEEKEND! 
Join us for our annual summer tradition of presenting a beautiful 35mm print of Steven Spielberg's classic on our BIG screen! 


ケンブリッジの隣町のサマービル市にはサマービルシアターという老舗名門映画館がある。この映画館は70mmフィルムの上映ができるし、独自の旧作ラインナップもあるし、とにかく素晴らしい。70mmフィルムの上映は、日本ではもはやできない。この貴重さについてはこのあたりを参照ください。

映画通の人なら「この映画館のためにここのエリアに住みたい」という人もいるだろうと思う。僕は年間20本は映画を見る生活を数年間続けてはきたものの、そこまでのハイレベルな映画ファンではない。それでも、この映画館の価値を理解することくらいはできる。

2016年8月のラインアップ
その素晴らしさの一端が、毎年夏の恒例という「Jaws Weekend」で、日本でいうお盆あたりの時期の週末に映画「ジョーズ」を入場料7ドルで35mmフィルム上映しているとのことだ。こういうイベントがあること自体に地域の映画愛を感じ、サブカル人間として感無量だ。




40年前の作品にもかかわらず、意外にも客層の中心は20代、30代の友人同士やカップルだった。そして、エスニック的には白人ばかり。地元民ばかりで観光客もおらず、僕はかなり浮いていたと思う。まあ、スピルバーグとか映画とかって、そういう文化なのでしょう。冒頭、シアター側の人が挨拶して「携帯のスイッチを切ってね」「声出してもいいけど、あんまり騒ぎすぎるなよ」的なことを言っていた。


ところで、この作品「ジョーズ」は、全体的に「お約束演出」の宝庫(「志村、後ろ、後ろ!」的な・・)で面白い。そして、ラストシーンで、署長が鮫を仕留めるところで観客一同拍手喝采。このお約束感が夏のイベントに向いているのでしょうか。


ただし、映画内の英語がほぼまったく聞き取れない事に軽くショック。最近、ニュースとかドラマでは「結構聞き取れるようになってきたかも・・」などと思い始めていたリスニングへの自信が、映画内ラストの鮫の成仏シーンのごとく見事に粉砕された。古い映画でもあるし、録音状態のせいだと思いたい…。



さて、このあたりの夏は、屋外での旧作の野外上映イベント(例:「グーニーズ」とか「トイ・ストーリー」とか)も多く、映画との付き合い方に風情を感じる。日本での旧作上映だと、物理的に人口の多い60歳以上が昔を懐かしんで集まる、となるところ、こちらだと若い人が普通に旧作を愛でている印象がある。良い悪いではなくて「日本とアメリカは年代別人口構成が違う国だな」と(比較的若者の多い東京から来た自分であってさえも)思うことが多い。特にケンブリッジは学生が多いから若い。ちなみに、早朝の公園にジョギングに行っても「日本だと老人ばかりの一方で、こちらだと若者中心」というのが実態です。日本は老いている。

野外上映でグーニーズを見るの図


映画に話を戻すと、こうしたイベントで選ばれているタイトルとしては、それほどサンプル数でないが、スピルバーグの作品が多いな、という印象がある。スピルバーグは、国民的作家という意味で、山田洋次的な位置付けかな、と思った。

追記:2016年、日本でもジョーズ野外上映イベントはあった(ここ)ようで、ここのイベント(あるいはアメリカの伝統)となんらか関係あるのかが気になっている。

2016年8月13日土曜日

確かに「アメリカに来たら料理が上手くなる(かもしれない)」と思った理由


僕は(村上春樹イズムの実践として)料理はもう10年以上、普通の事としてやってきている。このため「休職して主夫になったら、料理の腕が上がる」ということについては、ほぼ期待をしていなかった。

しかし、渡米前にアメリカ駐在経験を持つ男性友人から「お前、アメリカ行ったらもっと料理が上手くなるよ」とだけ言われた。その段階では、半信半疑だったのだが、来てみてその理由が分かった気がする。自分なりにこの予言が正しいかも、と感じている三つの理由をあげてみたい。

料理もチェスも「先読み」が肝要、と言ってみたかっただけ(Harvard SQにて)


第一に、新しい食材との出会いで発想やレパートリーが広がる。日本でも世界の色々な食材が手に入るのは事実だが、アメリカにはアメリカなりの食材があり、特に日本だとちょっと高くて敬遠していたものが安く手に入る分野がある。代表例としては、サワークリームやフムスなど。また、人種のるつぼだけあって、イタリアンやエスニックの食材も豊富。インド人向けスーパーに行けばディープなスパイスも手に入る。また、普通のスーパーでの「タイ料理」コーナーが日本よりも大きかったりするのも新鮮な驚きだった。食材の豊富さにより、料理のバリエーションが拡げやすい。

第二に、日本にいる時よりも時間があるので、ひと手間を掛けられる。我が家は共働きでもあり、これまで料理は味よりも効率重視にならざるを得なかった。「造りだめ」「簡単なもの」を優先してきた。しかし、こちらだと一応主夫なので、料理に投入する時間を多少は増やすことが出来る。たとえばサラダ一つ作るにも、「ちょっとカリカリベーコンを作ってのせる」というようなことが可能になる。これはこれで料理力を上げる。やはりこういう一手間は、手を動かしてやらないと、いざという時にでてこないものだ。

最後に、これは結構大きな話だが、台所に備え付けの本格的なオーブンを使うことができる。正直いって、僕は日本ではオーブンを使いこなすことができていなかった。愛用のLODGEのスキレット(蓋つき)で代用してしのいでいた。(我が愛するLODGEのスキレットについては話し出すと長くなるので別の機会に…。)こちらのアパートの台所には、アメリカンなオーブンがある。最初の1か月くらいはビビって使えなかったが、徐々に慣れて、3か月目くらいではほぼ使えるようになった。オーブンで塊肉に火を通す作業を繰り返して、いい感じの時間と温度("駐在あるある"なんでしょうが、オーブンの温度表示が日本と違うのは面倒くさい)がなんとなく掴めてきた。これは料理スキルとしては大きな進歩だと思う。あとはケーキとかクッキーを焼く方へ進んでみるかどうかを検討中だ。

塊肉と野菜をローストすることを繰り返す


これまで4か月かなり高い自炊率で暮らしてきた。外食はお高いし、健康にも良い自炊をこれからも続けていきたい。

2016年8月10日水曜日

イチロー選手の3,000本安打達成は実際にどの程度の盛り上がりか


2016年8月7日、イチロー選手、メジャー3000本安打達成!ということで日本では熱い報道があったと思う。そこで、アメリカでは実際どの程度盛り上がっているのか、僕が見聞きした範囲でメモしてみたい。

そもそも野球(MLB)が、今のアメリカ人の話題や関心に占めている位置が日本ほど大きくないようにみえる。地域内のグラウンドの設置状況などを見ると、ベースボールがこの国において歴史的に特別なスポーツであることは感じるが、今は趣味が細分化しており、他にも人気のスポーツが多数ある。実際、今の時期、新聞のスポーツ欄は開幕前のアメフト(NFL)の話題がトップ扱い。野球はといえば、メジャーリーグのオールスターの視聴率は今年、過去最低だったらしい。

そういう基本的な位置付けがあるため、アメリカでイチローが国民的に人気があるというような状態はそもそもあり得ない、と思う。

本当に立派なフィールドが近所にゴロゴロしている


しかし「野球好き」な人たちは確実にいて、こういう人たちはイチローの偉業を当然知っており、評価している。具体的にいうと、当日のテレビ中継(MLB.TVで見た)では冒頭からイチローの足跡のVTRを作り「あと一本だ!」とムードを高めていたし、翌日の新聞でも大きく取り上げられていた。

身近なところでは、長男の少年野球で一緒のチームのパパ(とっても野球好きな白人ミドル。試合中であっても自分の息子につききりで打撃指導する癖あり)は、僕らが日本人だとわかると「イチローがもう直ぐ3000本安打だ。彼はすごい。42歳だろ。あんなに"痩せている"のにすごいよな」注:英単語では"skinny"と表現してました)と話してくれた。

ここのリトルリーグでは唯一の日本人として超マイノリティ生活をおくる我が家にとっては、イチロー選手(はじめ、上原・田沢といった日本人メジャーリーガー)の活躍は確実にありがたい。うちの長男は確実に勇気づけられている。少し話がそれるが、こちらでフィリピンから来た野球少年に会った。彼の国では野球はマイナーで、有名選手もいないだろうから、アメリカで野球をするのは心細かろう。それにひきかえ、日本にはすでに活躍する先人がいるのだから、恵まれた国だと思う。(子供には"野茂さんがとても偉大"と教育済みだ

小学生専用球場にナイトゲーム照明とは贅沢




大雑把にまとめると「日本ほどは盛り上がっていないけれども、別に悲観も卑下もする必要なし」という印象だ。

そもそも、何事につけ、アメリカでは日本のように東京のメディア(テレビ局&センテンススプリング?)が主導して国全体が一つの村みたいな感じで同じ話題で盛り上がる、という事がほとんどないように見える。強いて言えば「大統領選挙」と、近いところだとプリンスが死んだときとPokemon GOくらいかと思う。

とにかく(これまで特に熱心なファンではなかったですが)改めて、イチロー選手に敬意と感謝を表したい。

あと、デレク・ジーター語り下ろしの(このリンク先の)記事が良かった(日本語訳・・・勝手訳をやってるように見えるけど大丈夫なのか!?)ので、興味のある方は。

しかし、この記事で知った事ながら、ジーターは自らこんなWebサイトを主宰してたのか。何がしたいのか?ビジネス?お金は十分稼いだろうに、よく分からない展開だ…。




2016年8月8日月曜日

この州は予想以上に酒に厳しい マサチューセッツ州の酒事情-2-


到着するまで全く知らなかったのだが、マサチューセッツ州は、米国の中でも「酒に厳しい」州だ。日本は比較的アルコールに寛容な国だとは頭では知っていたが、生活してみると驚くことが多い。

とても驚いたのは、「公共の屋外での飲酒が禁止」ということである。しかも、かなり厳格に運用されている。

マサチューセッツ州の夏は湿度が低くとても気持ちが良い。日本のお花見どころの比ではなく、野外でビールを飲むには理想的な環境なのだけれど「禁止」である。よくよく観察していると、公園の中や少年野球を見ている親などでこっそりビールを飲んでいる人がいるが、彼らも紙袋に隠して警官に警戒しながら、かなり慎重に飲んでいる。僕のような中途半端な立場の人間に違法行為が見つかったら厄介なことになるので、リスクを冒して飲む気にはなれない。

フード屋台がたくさん出るお祭りであっても、野外のジャズフェスであっても、夜中まで躍り狂う路上ダンスパーティーであっても、アルコールを飲める場所は一箇所に決められており、柵の中で隔離されてビールを飲まなくてはいけない。最近の日本での喫煙者の扱いに似ている。(気持ちがわかりました)

ビアガーデンといえば聞こえは良いものの、それ以外の場所では飲酒禁止なので。。



レストランの野外テラス席や、フェンウェイパークなどの野球場は、「飲める」のだけれど、これは「室内の延長」というロジックで飲酒が許可されているとのことだ。

販売の方も厳しい。フェンウェイパークでも映画館でも毎回パスポート(Valid ID)を見せないとアルコールを売ってくれない。さらに、年に何回かは小売店でのアルコール販売が禁じられている日がある。(祝日、パトリオットデー、とか。)それから、店によっては免許の関係で日曜日の午前中だけアルコール販売禁止、の日もある。この辺の厳しさはこの州独特らしい。

これだけ厳しいので、日本の外食産業で一昨年あたりから台頭してきた「ちょい飲み」もこちらでは考えづらい。メキシカンのファーストフードなど、日本だったらビール置くよね、という店でもアルコールは無い。寂しい。

ある時、タクシーの運転手さんに「マサチューセッツはアルコールに厳しいよね、、」と話しかけたら、「俺の子供の頃はここまで厳しくなかったんだよ、若い頃はみんなで車でビール飲みながらスキー場まで行ったもんだ。でも色々、事故があったりして厳しくなってね・・」と話してくれた。色々なことに当てはまるが、歴史は動いており「今の姿が昔からそのままあった」ということではないらしい。

爽やかな公園で野外シェークスピア劇(ながらも当然アルコールは無し)

考えてみれば、アメリカはかつて禁酒法の時代もあった。機会があれば、ピューリタンとアルコールの歴史的な関係を、この辺でも読んで勉強してみたい。

とはいえ、家族の安全という方向から考えると「街のなかに酔っぱらいが全くいない」社会というのはそれはそれで良いものでもある。思い返せば、東京のうちの最寄りのJRの駅前には毎日、夕方から夜にかけて缶チュウハイ飲みながら叫んでるおじさんがいた。そういうことは、この辺では有り得ない。夜の電車が酒臭い、ということもない。そういう意味では、禁止令のメリットも感じる。

でも、やっぱり、爽やかなこちらの公園でのびのびとビールが飲みたい…。

障害を乗り越え、球場で初の野外ビールを一杯。



2016年8月5日金曜日

酒好きが見た マサチューセッツ州の酒事情 -1-


アルコールは嫌いじゃない、というか正直僕は「好き」なので、アメリカでの楽しみの一つとして「酒」をイメージしてこちらへ来た。しかし、意外に予想外のことが多かった。

まずは、(誰が求めているかわからない情報ではあるけれど)アルコール種類別の感想を。




まずはビール。大衆向けの安いビール(バドやミラー)はやはり今ひとつの味に感じる。日本と同じクオリティのビールを買おうとするとちょっと高い。ケンブリッジにも「キリン一番搾り」や「スーパードライ」「サッポロ黒ラベル」は専門店に行けば手に入るところがある。これら銘柄は日本にいた時はあまり好みのビールではなかった(クラッシクラガーあるいはプレモル派なので)けれど、こちらでたまに飲むとやっぱり旨い、と感じる。舌が日本の親父になっているらしい。ちなみにラベルによると一番搾りは、キリンの監督の下でアメリカのビール会社がカリフォルニアとバージニアの工場で醸造している。

ちなみに今、ボストンではクラフトビール(地ビール)が大ブームだ。これに関しては、「アメリカの大衆向けビールが極度に寡占化された結果、利益至上主義の経営により原価をケチってまずくなりすぎた反動」との解説を新聞で読んだ。アメリカ企業の利益至上主義の一端は酒にも現れていると言える。

バーボンウィスキーこそ、アメリカで楽しもうと思ってきたのだが、値段が高い。なぜかごく普通のフォアローゼスなどでも日本より高く感じる。なぜ、こちらの方が高いのか。何か事情があるのだろうが未解明。そして、甘くシロップを混ぜたバーボンが多い。これを飲むと頭が痛くなるので、バーボンからは撤退することにした。

ワインは、ジャンルとして大人気な模様。どこのお店に行っても品揃えは多い。ただ、東京と比べると値段と品揃えに大きな差はないと見える。となれば、ここで欧州や新世界のワインを飲んでもあまり意味が感じられないので、アメリカのワイン、特にシャルドネに焦点を当てて楽しんでいる。

日本酒は、マイナー酒ではあるものの「中規模以上の酒屋」に行くと必ずコーナーはある、という感じだ。値段は当たり前ながらたいへん高い。大吟醸の2号瓶で20ドル強くらいでしょうか。日本酒はこちらに来てからほぼ飲んでいない。(正直、日本出国前にたくさん飲んできた)

リアルな値段はラベルに・・


しかし、マサチューセッツ州の酒事情にはさらなる予想外の事態が、、ということで次回に続く。

2016年8月2日火曜日

アメリカ大統領選挙は続く(党大会テレビウォッチング)



政治は全くの門外漢ながら、せっかく大統領選挙イヤーにアメリカに滞在しているので、なるべく現地メディアで政治のニュースに触れるようにしている。

最近では、正式に候補者が決まる共和党大会・民主党大会の演説を動画で結構たくさん見た。

当たり前ながら、皆さん、演説力が高いことに改めて驚く。言葉で闘う国の人々のリーダーシップはプレゼン力と結びついている。さらに、Boys II MenやらKaty Perryが出てきたり、オバマ大統領の入場曲はU2の City of Blinding Lights だったり、エンタメ的な面でも興味深い。ちなみにヒラリー陣営のテーマ曲は Fight Songという2015年の曲(以下動画)だそうだ。この曲、ふだん家でよく流しているBostonのラジオ局からときどき聞こえてきていたので、「ああ、この曲、そういう位置付けなのか」と思った次第なのだけれど、このあたり、公職選挙法的なものはどうなっているのだろうか。






話を選挙に戻すと、8月頭現在では「イラクで戦死したイスラム系アメリカ人兵士の両親の感動的なアンチトランプ&護憲演説(実際、これはとても感動的だった)」からの「トランプ氏本人によるまさかの両親非難」からの「それにキレた軍関係者(さすがに現役は発言できないのでOBや家族)や共和党重鎮からのトランプへの集中砲火」に加え「ついに(これまで立場上言葉を選んでいた)オバマ大統領もブチキレ」という事態が進行中で、この先どうなるかは分からないが「ドラマ性」はすごく高い。(トランプ氏ご本人だけは漫画みたいに暴走中ですが、全体的なシリアス度の高さについては都知事選の比較になりません。)




他に一つ、日本に居た時の情報では感じていなかった強烈な印象があったのはオバマ大統領夫人、「ミシェル・オバマ」さんのカリスマ性。とにかく演説力が半端ではない。将来、政治家として戻ってきても驚かない。



こちらの政治家(特に民主党)は、演説の中でしきりに「Journey(旅)」という単語を使う。日本の政治家の口からは聞かない単語だと気がついた。「たどり着くべきゴール」を意識している人たちとそうでない人たちの違いを感じた。


ところで、下の写真は、ケンブリッジ市のチャールズホテルのレストラン(ヘンリエッタズテーブル)の入り口で先月撮影した写真。店のシンボルはブタ、ロバは民主党、ゾウは共和党、という前提で見ると興味深い。

火遊びしてる場合か、と。
勝手ながら、このチャールズホテルは(文字どおりチャールズ川のほとりのホテルながら)東京で例えると「山の上ホテル」(か、都ホテル)に相当するイメージだと思った。このホテルの客層の標準的な気分はこの看板に象徴されるのだろう。さらっとこういう看板があるところが、いかにもこの市らしいと感じる。