2016年5月23日月曜日

ボストンインディペンデント映画祭でProgressiveなこの街を垣間見る(下)


(上・中からの続き)


一つの作品の上映しか見ていない中で総括めいた発言をしてはいけないとは思うけれど、こちら米国と日本との大きな違いの一つは「不謹慎」という概念を巡るところに象徴されていると思う。

進歩的マサチューセッツ人にとっては、この映画の「画面」を見て笑うことは「不謹慎」ではないのだろう。ただし、同時にこの画面を見て笑う人々は「少数者の権利」を守らないということについては「不正義」として声を上げる。すなわち、「真面目・礼儀」ということと「正義・不正義」はこの人達の頭の中では別の軸にある、ということだと思われる。これまでもこの事は頭ではなんとなく分かったような気になっていたが、改めて独特の雰囲気の会場の中でこの事を体験した気がした。

映画終了後、監督や出演者登壇でのトークショー。


日本では何かと言うと「不謹慎」という言葉が持ち出される。こちら来てから2ヶ月足らずでも日本のニュースを対岸から眺めていると騒がれている理由は大体「不謹慎だ!」というようなもののように見える。インターネットやSNSが更にこの傾向を強めている。

日本とアメリカは、だいぶ違うものだなとは思う。良い/悪い、進んでいる/遅れている、ではない。こちらの空気を吸った日本人のうち幾らかの人は、日本に帰った後、日本的には「不謹慎」と言われることを気にしなくなるように予想するが、それはそれとして分かる気がする。(いわんや、こちらで若い頃を過ごした人においてをや)

なお、映画祭について言うと、日本関係の映画も幾つかあった。本当はこういう作品を応援に行ければ良かったのだが、時間の関係で叶わなかった。

以下の写真は、会場の入り口にあったドキュメント映画のポスター。広島の原爆を題材にした作品を、2016年の地球の裏側、ここケンブリッジの映画館がしっかりポスター掲示してくれている。「やはりこのエリアはひと味違う」と確信した。日本人の一人としてありがたいことだと思う。

少し大げさに言うと、この地域のこういう土壌が、オバマ大統領の広島訪問実現のルーツの一つなのだと思う。これは素人の推測ですが。


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