2016年5月19日木曜日

ボストンインディペンデント映画祭でProgressiveなこの街を垣間見る(中)




(前のエントリからの続き)

上映前、割と早くに会場に到着した。日曜日の午後でもあり、リラックスした映画祭的なムードが会場に漂う。観客層は、白人の中年以上が多い。アメリカに住むと、どこに行っても「(集まっている人の)層」に気を配るようになる。日本ではあまり無かった意識だ。今日の会場にはラテン系・黒人・アジア系は少ない。あと、ゲイの団体が来ている雰囲気はない。それにしても、上映前がとても賑やかである。観客同士のおしゃべりがすごい。映画とイベントの性質上、関係者の知り合いがたくさん来ているのかもしれない。

客層で気になったのは「おいおい、観客に子供が居るよ…」ということ。うちの長男と同じくらいの年齢の子も居る。同性婚を扱うこの映画の内容からして、子供に見せるのは刺激が強いのではないか、と日本から来た中年男性(僕)は、思うけれどその辺がProgressiveなマサチューセッツ、なのだろうか。

会場の雰囲気


定刻になり、主催者と映画の監督(女性)の舞台あいさつからスタート。映画の主題からシリアスなトーンのあいさつ(例えば、少数者の権利を問うために作りました!的なもの)かと思いきや、雰囲気は明るい。どちらかというと「イェーイ」というアメリカ人のノリで「この映画祭、このコミュニティを良くするために皆さんで頑張りましょう」という仲間内に向けた感、のある挨拶だった。

映画は、自宅ベッドで寝そべる男性カップルと代理出産してもらった1歳児のスリーショットから始まった。絵柄としてはちょっと強烈だ。「一般的」には親は男女ですから。そうしたら、その絵を見た観客はすぐに「おもしれぇ」的な爆笑。この観客のリアクションが僕には意外だった。今日の観客は「"こういうの"見に来る真面目な人たち」という先入観があったのだ。それに、日本人観客(含む僕)だったら、「う、、強烈。でもこういうの茶化しちゃいけないんだよね」という感じでゴクリと息を飲むところだと思う。しかし、その後も観客の反応はそんな感じ。例えば、代理母の出産時の病室内でゲイカップルが怯えながら顔を見合わせるアップでも観客爆笑。

ところで、この代理母さん、ゲイカップルの片方と大学時代の友人で、その友情から子供を産んであげている?とのこと。映画の中では「いや〜、私、妊娠してる状態結構好きなのよ〜」などとあっけらかんとおっしゃっている。確信的使命感を映画の中で熱く語るシーンは無かったが、二回も代理出産をすることほど雄弁な行動はない。字幕なしで見るもので、ちょっと良く分からなかったけど、ユダヤ系なのかもしれない。夫は、尾美としのりみたいな人の良さそうな方で「まあ、二回目と言い出した時はびっくりしたけどね。あと僕の親はコンサバなカトリックだから、親にどう説明しようか・・・とは思ったよね〜」的なことを話していて、全体的には歓迎ムード。ただし、さすがにこの行為はいかにマサチューセッツとはいえども異例らしく、後で登壇したご家族(お子さんだったかな)が「この映画のおかげで他人にうちのこと説明する手間が省けるわ〜」と話していた。
せっかくなので内容をもう少し紹介すると、ゲイカップルのもう片方はイタリアのサルディーニャ出身で、そちらの方ではやはり(カトリックの国であるから)同性婚は受け入れられない現状がある。そのあたりも映画で取り上げられていた。

会場だった老舗劇場Somerville Theatre(別の日に撮影)


(せっかくなので、あと一回続く)

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